2023年4月3日月曜日

2023年4月3日の聖句

私は絶えず主に相対しています。(詩編16:8)
信仰の創始者であり、完成者であるイエスを仰ぎ見ましょう。この方は喜びを持つこともできたにもかかわらず、十字架を甘受され、恥を厭われませんでした。(ヘブライ12:2)

「私は絶えず主に相対しています。」その主は、十字架にかけられたお方です。使徒パウロも、ガラテヤの信徒への手紙の中でこのように言っています。「十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前にはっきりと示された」。どうやって示されたのか。御言葉の説教によってです。礼拝で御言葉を聞くとき、私たちの目の前に十字架にかけられたキリストがはっきりと示された。十字架にかけられたキリストに、私たちは絶えず相対している。
今日与えられている新約聖書はヘブライ人への手紙の言葉です。ヘブライ人への手紙の著者は分かりません。ただ、一つの可能性としてパウロと共に伝道に仕えたアポロの説教を書き留めたものなのではないか、とも言われています。一つの可能性として思い巡らすと、とても嬉しくなる説です。いずれにしても、今日私たちに与えられているところではこのように言われています。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスを仰ぎ見ましょう。この方は喜びを持つこともできたにもかかわらず、十字架を甘受され、恥を厭われませんでした。」主イエスを仰ぎ見よう、と呼びかけます。この方は十字架の恥を甘受し、それを厭うことがなかった、と言っている。十字架のキリストを見上げ、この方に相対する。そういうキリスト者であろう、と呼びかけています。
今日、私たちはキリストを見上げましょう。十字架にかけられたキリストを。私のために恥をお受けになった方を。この方は私たちのために十字架の上におられます。この方は私たちのために恥をお受けになったのです。私たちが気力を失い、弱り果ててしまうことがないように、このような罪人たちの反抗を耐え忍ばれた方のことを思い出しましょう。
主に相対するとき、私たちは新しくなることができる。御言葉はそのように訴えかけています。

2025年2月5日の聖句

(神の僕の言葉)私は打とうとする者には背中を差し出し、ひげを抜こうとする者には頬を差し出した。辱めと唾から私は顔を隠さなかった。(イザヤ書50:6) (イエスの言葉)友のために命を捨てる者ほど、大きな愛をもつ者はいない。(ヨハネ15:13) 私は鞭で打たれたことはありませんが、厭...