2023年6月12日月曜日

2023年6月12日の聖句

私の悩みと労苦を見て、私のすべての罪を赦してください。(詩編25:18)
言っておくが、このように、一人の罪人が悔い改めるなら、悔い改める必要のない99人の正しい人にまさる喜びが天にある。(ルカ15:7)

罪を悔い改める者を、神さまは決して捨てません。主は必ず罪を悔い、悩み、苦しむ者を御許に引き寄せてくださいます。主は憐れみ深いお方だからです。
今朝の新約の御言葉は、失われた羊の譬え話の最後のところです。100匹の羊を持つ羊飼いがいて、その内の一匹を見失ったとすれば、その一匹が見つかるまで探し回る。そして見つかったら、家に帰り、友だちや近所の人々を呼び集めて宴会を開くに違いない、という話です。失われた一匹の姿に託して、「罪人」と主イエスはおっしゃいます。私たちが罪を犯すというのは、あの一匹の羊のように、神さまの前から失われたものになる、ということです。神さまのところからいなくなってしまう。
羊は、迷子になってしまったら、もう自分ではどうすることもできないのではないかと思います。羊飼いに見つけてもらわなければ。悔い改めるというのは、結局のところ、キリストに見つけて頂くということでしかないのではないでしょうか。私たちの深い自己省察や、生き方を改める立派な決心ではなく、それ以前に、キリストが私たちを見つかるまで探してくださり、私たちを見つけ出し、見つけたことを喜んでくださるという、キリストの憐れみに触れること、それこそが悔い改めのすべてではないでしょうか。
「私の悩みと労苦を見て、私のすべての罪を赦してください。」私たちには、自分がしてしまったことのもたらすたくさんのイヤな結果がついて回ります。後悔しても仕切れないことがたくさんあります。しかしそれが神さまの御前に、本当にゆるされないような罪なのだと気づくことが出来るのは、ここまで探しに来てくださったキリストとの出会いによってでしかないのです。キリストに見つけて頂かなくては、私たちはどうすることもできない。そして、キリストはもう既に私たちを見つけ、私たちのところにまで来てくださいました。
今日も、キリストの恵みと祝福によって生かされる一日でありますように。

2024年5月3日の聖句

耳の聞こえない人を呪ってはならない。目の見えない人の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。(レビ19:14) (イエスの言葉)あなたの父が慈しみ深いように、あなたがたも慈しみ深い者となりなさい。(ルカ6:36) 悪意を持ってわざと耳の聞こえない人を呪ったり、目...