2023年6月11日日曜日

2023年6月11日の聖句

今週の聖句:
あなたがたに耳を傾ける者は、私に耳を傾け、あなたがたを拒む者は、私を拒むのである。(ルカ10:16a)

今日の聖句:
あなたたちが背き続けてきた主に立ち帰れ。(イザヤ31:6)
「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、すべて受け入れるに値します。(1テモテ1:15)

聖書は驚くべきことを言います。
今日の旧約の御言葉、「あなたたちが背き続けてきた主に立ち帰れ。」これは、もしかしたら当然と言えば当然の言葉であるのかもしれません。私たちが神さまに背いたのであれば、神さまから離れてしまったのであれば、その神さまのもとに立ち帰らねばならないというのは、物事の道理だと思います。そして、立ち帰るというのは、やはり行いを改めるとか、神さまを改めて信じるようにするとか、そういうことではないでしょうか。
ところが今日与えられた新約では、そういう理屈に合わないことを言います。「『キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、すべて受け入れるに値します。」私たちが神さまの御許に立ち帰らなければならないはずなのに、神さまの方が私たちのところへ来てくださった、と言うのです。「キリスト・イエスは罪人を救うために世に来られた」。立ち帰るのは私たちではなく、実際には神さまだった。主イエス・キリストが、神さまの御許にちっとも立ち帰ろうとしない私のところへ来てくださった。キリストが近寄ってきてくださった。聖書はそのように言うのです。
これでは、物事の道理が通らないと思います。背いたのが私であれば、帰るべきは私の方です。それなのに、私たちの主イエス・キリストは、背いた私の方にご自分から来てくださり、救ってくださった。
主イエスさまを信じるという信仰も、あるいは私たちが生き方を改めるというのも、すべてはキリストが来てくださったという事実からしか始まりようがない。キリストの憐れみがすべての出発点です。主イエス・キリストの愛と憐れみによって、私のところへ来てくださった神ご自身によって、私の新しい歩みが始まる。聖書はそのように言います。

2024年5月3日の聖句

耳の聞こえない人を呪ってはならない。目の見えない人の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を畏れなさい。(レビ19:14) (イエスの言葉)あなたの父が慈しみ深いように、あなたがたも慈しみ深い者となりなさい。(ルカ6:36) 悪意を持ってわざと耳の聞こえない人を呪ったり、目...