2023年8月6日日曜日

2023年8月6日の聖句

今週の聖句:
すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。(ルカ12:48b)

今日の聖句:
私たちの先祖はあなたに信頼した。彼らは信頼し、あなたに救われた。(詩編22:5)
主は憐れみに満ち、慈しみ深い方です。(ヤコブ5:11)

今日与えられている旧約の御言葉は詩編第22編からとられたものです。この詩編は「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という、絶望の淵から絞り出すような言葉で始まっています。私たちにとっては何よりも主イエスが十字架の上で叫ばれた言葉です。改革者カルヴァンは、この叫びに主イエスの陰府降下を読み取っています。陰府の底に降っていく絶望。神に棄てられ、神のおられないところへ落ちていく嘆き。主イエスがこの詩編の言葉をもって十字架の上で叫ばれたのは、やはり、この詩編自体に既にそのような絶望が込められていたからなのでしょう。
そのような絶望の中、今日の箇所では、この詩編は先祖の信仰を思い起こしています。これはとても大事なことだと思います。自分の状況をどんなに見つめても望みが見いだせず、もうどうすることもできないとき、信仰の先達の歩みを思い起こすことができます。
私たちの信仰は、今だけ、自分だけの信仰ではありません。アブラハム、イサク、ヤコブの時代から、モーセやヨシュア、サムエル、ダビデ、イザヤやエレミヤ、シモン・ペトロやパウロ、そういった星の数のような信仰者たちに連なっている。そして、彼らが信じた神を私たちも信じている。聖書が証しする世々の信仰者の歩みを思い起こすことは、私たちの慰めです。彼らは喜びの日にも、悲しみの日にも、神を仰ぎ、あるいは叫び、歓喜し、絶望しながら神を信じて来ました。私たちもその信仰者の群れの末席にいます。
私たちは知っています。絶望の叫びを上げた主イエスは、三日の後に復活したことを。私たちは知っています。世々の信仰者たちが遙かに神の都を仰ぎ望んで喜びを得たことを。私たちも、主イエスにあって神の民の一員にして頂いています。

2025年4月3日の聖句

わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜を自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜を。(エレミヤ2:13) (イエスの言葉)私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出...