2023年11月17日金曜日

2023年11月17日の聖句


私の思いは、あなたがたの思いとは異なり、
私の道は、あなた方の道とは異なるーー主の仰せ。(イザヤ55:8)
神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。(1コリント1:25)

私たちの思い描いた理想とは違うことを神様はなさいます。しばしばそのようになさいます。こうなったら良いな、こうだろうな、これからについていろいろなかたちで抱く希望や予測と打ち崩すようなことが起こる。しかも、大事な場面で起こります。
「私の思いは、あなたがたの思いとは異なり、私の道は、あなた方の道とは異なるーー主の仰せ。」
私たちとは違う神の思い、私たちの道とは違う神の道。しかしその「違い」は、私たちに意地悪をしたり、私たちに嫌がらせをするための違いではありません。私たちが思い描いていたよりももっと素晴らしく、私たちの願いを遙かに超えた、素晴らしい救いの道です。私たちの思いとは異なる、想像を超えた神の御業です。
その救いの御業について、今日与えられている新約聖書の御言葉ではこのように言います。「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからです。」ここで神の愚かさとか神の弱さと言っているのは、主イエス・キリストの十字架のことを指しています。キリストが弱い存在になって、無力にも十字架にかけられて惨殺される。神様はこの世で弱くなることをお選びになりました。ご自分の力を発揮して人間を制圧し、黙らせ、言うことを聞かせるのではない。弱くなって、人々の横暴をその身に引き受けることをお選びになった。しかし、その神の弱さは私たちよりも強い。神の愚かな選択は私たちよりも遙かに賢い。聖書はそう言います。
私たちとは違う神の思い、私たちの道とは異なる神の道。それは、ご自分の独り子を十字架にかけて私たちを救う神の思い、キリストの死による私たちの救いという神の道です。この神の思いこそ、私たちのための救いの道なのです。
ですから、神が私の願ったこと、望んでいること、予測していることとは違うことをなさるというのは、実は私たちにとっては救いの徴です。私の思いと異なるからこそ、ここに救いの道が開かれている。私たちはそう信じることができるのです。今日、私たちのために主が準備してくださっているのはいかなる道でしょう。この道はキリストのかけられた十字架へと続く道です。

2024年11月11日の聖句

イスラエルの子らは帰って来て、彼らの神である主と彼らの王ダビデを求め、終わりの日に、主とその恵みに畏れをもって近づく。(ホセア3:5) 誰でも、求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者には開かれる。(マタイ7:8) 私たちは求めることが許されています。「誰でも、求める者は受け、探す...