2023年12月1日金曜日

2023年12月1日の聖句

今月の聖句:
私はこの目であなたの救いを見たからです。これは万民の前に備えられた救いです。(ルカ2:30~31)

今日の聖句:
見よ、私は彼らを精錬し、試す。(エレミヤ9:6)
最後まで耐え忍ぶ者は救われる。(マルコ13:13)

苦しいときに辛いのは、「見通しがない」ことではないかと思います。あとどのくらいこの苦しい期間が続くのか、この先良くなるのか悪くなるのか、これから一体どうなっていくのか。苦しみが深ければ深いほど、これからへの見通しが立たなくなります。それはとても辛いことです。こうしたら良いんじゃないか、後これくらい耐えれば切り抜けられる、この苦しみにはこういう意味があるんじゃないか。そういうことが一切分からなくなってしまうと、本当に辛くなっていきます。
そんなとき、聞きようによっては今日の御言葉はとても残酷に響きます。「最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」最後まで?これ以上まだ?一体いつまで?「見よ、私は彼らを精錬し、試す。」試すって、あんまりにひどい仕打ちじゃないか?精錬と言われても、精錬されている内にもう何もなくなってしまいそうだ・・・。
何よりも大切なのは、この御言葉が主なる神様の御言葉だということだと思います。神様は私たちの慈しみの父としていてくださるお方です。確かに私たちの目に入るところは一部ですし、分からないことだらけ。苦しいことに押し潰されてしまう。しかそしれでも、なお、すべては慈しみに満ちた神の御手の中にあると信じましょう。
なぜなら、このお方は、私たちのすべての苦しみを引き受けるようにして主イエス・キリストを私たちにお与えくださった方です。私たちの苦しみに、なかなか意味は見えてきません。それならば、キリストの御苦しみはなおのことだと思います。神の子である方がなぜ苦しい目に遭わなければならなかったのか?一切の因果が通じない。ただ、私たちのためにそれを引き受けてくださったという神ご自身の愛にしか理由がありません。ですから、キリストの苦しみほど不当で理不尽な苦しみはない。このお方は、私たちの苦しみや呻きや痛みを誰よりもご存じです。キリストは苦しむ者の傍らにいてくださいます。このキリストを、私たちは塵の中に伏しつつ仰ぎます。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...