2023年12月14日木曜日

2023年12月14日の聖句

光は正しき人に、喜びは心のまっすぐな者に蒔かれる。(詩編97:11)
天の国は、十人のおとめがそれぞれ灯を持って、花婿を迎えに出て行くのに似ている。そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。(マタイ25:1~2)

十人のおとめの内の五人は愚かで、五人は賢かった。主イエスの譬え話です。愚かなおとめと賢いおとめ、どう違っていたのか。結婚式の日、介添え役のおとめたち。花婿の到着を待っていましたが、いつまで経ってもやってこない。いつしか彼女たちはうとうとして眠ってしまいました。すると真夜中になって、花婿がやってきた。彼女たちは自分のつとめを果たすべく外に出て行く。
花婿の到着が遅かったので、灯のための油が既に足りなくなっていた。賢いおとめたちは替えの油を持っていましたから、無事に明かりをともして自分たちの役割を果たすことができた。ところが愚かなおとめたちは替えの油を用意していなかったので、明かりをともすことができず、介添え役を果たすことができませんでした。愚かなおとめたちは外に追い出され、祝宴に入ることが許されなかった。
これは主イエスを待つ私たちの話です。私たちは主イエスが再び来てくださるのを待っている。ところが主はいつまで待っても来てくださらない。遂に、私たちはウトウトして眠り込んでしまう。しかしそれでもなお替えの油を持っているか、と主イエスは問うておられる。
替えの油とは、一体何のことか。祈りだとか、信仰だとか、そういった解釈が一般的なようです。きっとそういうことなのでしょう。しかしそれが何かということ以上に、主イエスさまをお迎えする備えをして生きるということがいちばん大切なのだと思います。私たちは、主イエスをお迎えするために、今日を生きているでしょうか。主を待ち望んで生きているでしょうか。
あの愚かなおとめたちは、サボっていたから油を準備していなかったというわけではないのではないかと思います。他のことが忙しかったのかも知れません。他の雑事のために心がいっぱいになっていたのかも知れません。いちばん大切なことは一体何か、いつの間にか見えなくなってしまった。私たちはどうでしょう。私たちの最も大切なことは一体何でしょうか。主イエス・キリストは、他の何を置いても私たちの救いのためにすべてを献げてくださいました。主イエスは神から見捨てられてまで、私たちへの愛を貫いてくださいました。このキリストをお迎えするための一日が、今、新しく始まっています。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...