2024年1月2日火曜日

2024年1月2日の聖句

喜んで私はあなたにいけにえを献げ、御名に感謝します。その御名が慰めに満ちているからです。(詩編54:8)
そこへ一人の貧しいやもめが来て、レプトン銅貨二枚を入れた。(マルコ12:42)

「御名」とあります。神さまのお名前、という意味です。私たちの信じる神様はお名前を持つお方です。これは改めて考えてみるととても興味深い事実です。神さまがただお一人の方であるならば、神は神であって名前は必要ないはずです。単に「私は神」とおっしゃれば、それで十分なはず。ところが神さまは御自分のお名前を私たちに名乗ってくださる。旧約聖書の中に神さまのお名前を現す言葉が出て来ると、そこは「主」と翻訳する伝統があります。神は私たちに向かって「私は主」と御自分のお名前を名乗ってくださるお方です。御自分のお名前を名乗るというのは、私たちとの人格的な関係を結びたいと望んでいてくださるということです。だからこそ、神さまの主というお名前は私たちの慰めに他ならない。
それだけではありません。主というお名前の意味を学者たちが研究すると、どうやら、「私はあなたと共にいる」という神さまのお約束がその起源であると考えられるようです。神さまは私たちに主というお名前を名乗ってくださり、そのお名前は、主は共にいてくださるいう約束そのものに他ならない。主。そのお名前のなんと慰めに満ちていることでしょう。
だからこそ、「喜んで私はあなたにいけにえを献げ、御名に感謝します」と告白をする。私たちにとって神を礼拝することは喜びです。喜んで主の御前にあってこのお方を賛美し、あがめます。あの貧しいやもめが自分の持つレプトン銅貨をお献げしたのと同じように、私たちも喜んで自分に与えられたものを主に献げます。主の恵みによって、私も生かして頂いているから。主イエス・キリストの恵みと祝福によって、私も生かされているからです。

2026年1月31日の聖句

主よ、あなたの働きは私を喜ばせる。 私はあなたの手の業を喜び歌おう。(詩編92:5) (足が不自由であった男は)躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神を賛美し、(ペトロとヨハネ)二人と一緒に境内に入って行った。(使徒3:8) 使徒ペトロとヨハネとに足を癒...