2024年1月5日金曜日

2024年1月5日の聖句

主に願い求め、万軍の主を尋ね求めるために出かけよう。私たちもあなたがたと共に行きたいのだ。(ゼカリヤ8:21)
リディアは家族全員と共に洗礼を受けた。それから「もし私が本当に主を信じているとご納得いただけたらなら、私の家に来てください。お泊まりいただきたいのです」と行って懇願した。(使徒16:15)

主なる神さまを信じる私たちの信仰の営みは、個人的なものではありません。独りぼっちの信仰者に、私たちはなることができない。「私たちもあなたがたと共に行きたいのだ」と書かれているとおり、私たちは主なる神さまを求めて共に歩みます。主を求める歩みは単独行ではない。共なる歩みです。
もちろん、一人っきりで祈る時間があるし、一人になることができなければ共に生きることはできないでしょう。一人での祈りの時間には、どんなに親しい人であっても立ち入ることのできない厳しさがあります。神様の御前に一人でいる、屹立した祈りの時。しかしその一人の祈りをもって、私たちは共に神の御前に生きる。神を求める旅路を共に歩んでいくのです。
フィリピの町に住んでいた紫布を扱う商人であるリディアは、その町に来たパウロと出会い、彼の口から主イエス・キリストの福音を聞きました。リディアも家族も信仰に導かれたとき、彼女はパウロを自分の家に招じました。リディアはパウロと共に生きはじめた。パウロの伝道の働きにリディアも参与しだしました。
私たちは、教会という共同体で共に生きることを通して、具体的な仕方で信仰の道を知り、経験します。共に生きることなしの「信仰」は、信仰の名の毀損です。共に生き、共にキリストのお体を立て上げる中で、私たちは神を信じる恵みを知り、喜びを知り、またそのためのキリストの苦労にあずかる。そこに私たちのための神の祝福があります。

2024年5月8日の聖句

(主は)私の口に新しい歌を、我らの神への賛美を授けてくださった。(詩編40:4) あなたがたは、心の霊において新たにされなさい。(エフェソ4:23) 主が、新しい歌を授けてくださった。すてきな言葉です。「主に、新しい歌を」とは言っていません。主が私の口に新しい歌を授けてくださった...