2024年2月28日水曜日

2024年2月28日の聖句

わが神、主よ、私は御もとに逃れました。
迫り来るすべての者から私を救い、助け出してください。(詩編7:2)
引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。言うべきことは、その時に示される。(マタイ10:19)

「わが神、主よ、私は御もとに逃れました」と言っています。私たちは、逃げて良いのです。神さまの御許に逃げていい。神さまは、どんなときにも勇敢に、決して逃げることなく立ち向かえとはおっしゃいません。逃げていい。ただ、神さまの前から逃げるのではない。神さまとは関係のないところへ逃げていくのではない。私たちは神さまの御もとに逃れます。神さまこそ、私たちの逃れ場です。
だからこそ、私たちは毎日祈ります。祈ることで私たちは神のもとに逃れる。個人的には、逃げるというのはすごく後ろ向きな感じがして、あまり好きではありませんでした。讃美歌でも「この世のつとめいとせわしく、人の声のみしげきときに、祈りにしばしのがれゆきて、われはきくなり主のみこえを」というものがあります。主の御声を聞くというのは良いけれど、祈りに逃れるというところがどうも・・・。祈りをすごく後ろ向きに捉えているように思えていました。しかし、今日の御言葉を読むと、それでいいのだなと思いを改めました。私たちは、祈ることによって神さまに逃れて良い。いやむしろ、この神以外の一体どこに逃れるのでしょうか。私たちはそんなに強い存在ではありません。逃げなければどうしようもないことが多々ある。そういう自分の弱さを認め、そして、他ならぬ神さまがそんな弱い私のための逃れ場になってくださっている、ということを覚えたいと思います。
主イエス・キリスト。この方こそ、私の逃れ場でいてくださる神さまのお名前です。キリストの憐れみの中に、私の憩いの場所があるのです。

2025年4月3日の聖句

わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜を自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜を。(エレミヤ2:13) (イエスの言葉)私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出...