命の泉はあなたのもとにあり、あなたの光によって、私たちは光を見ます。(詩編36:10)
それは命であった。この命は人の光であった。(ヨハネ1:4)
私は小学校5年生のときからボーイスカウトに入っていました。春と夏に少し長いキャンプがありました。特には春はまだ野外でテントを張るには寒く、なかなか大変だった思い出があります。もちろん炊事もすべて外で行います。寒くて暗い夜、冷たい水で食器を洗う。惨めな気持ちになりました。しかしそれでも、闇夜の中でも懐中電灯を照らすと少しホッとしました。小さな光が点ると、元気が湧いてきます。光には不思議な力があると思います。
聖書は主イエス・キリストについて証言します。「それは命であった。この命は人の光であった。」主イエス・キリストは光。古代教会が生み出した信条では、キリストを「光からの光」と告白しているものもあります。すてきな言葉です。私たちはキリストという光に照らされている。
しかもこの光は「命」です。命そのもの。なんと温かく、希望に満ち、慰め深いことでしょう。神は私たちをキリストという光で包んでいてくださる。この命の光によって私たちは望みの中に置かれているのです。
今日私たちが闇のような絶望やたじろいでしまうような恐怖に見舞われるとしても、そんな私たちをキリストという命の光が照らしてくださっていて、そこに望みがあるのです。神の光の中を、歩んでいきましょう。命の光に照らされて、今日も生きていきましょう。
それは命であった。この命は人の光であった。(ヨハネ1:4)
私は小学校5年生のときからボーイスカウトに入っていました。春と夏に少し長いキャンプがありました。特には春はまだ野外でテントを張るには寒く、なかなか大変だった思い出があります。もちろん炊事もすべて外で行います。寒くて暗い夜、冷たい水で食器を洗う。惨めな気持ちになりました。しかしそれでも、闇夜の中でも懐中電灯を照らすと少しホッとしました。小さな光が点ると、元気が湧いてきます。光には不思議な力があると思います。
聖書は主イエス・キリストについて証言します。「それは命であった。この命は人の光であった。」主イエス・キリストは光。古代教会が生み出した信条では、キリストを「光からの光」と告白しているものもあります。すてきな言葉です。私たちはキリストという光に照らされている。
しかもこの光は「命」です。命そのもの。なんと温かく、希望に満ち、慰め深いことでしょう。神は私たちをキリストという光で包んでいてくださる。この命の光によって私たちは望みの中に置かれているのです。
今日私たちが闇のような絶望やたじろいでしまうような恐怖に見舞われるとしても、そんな私たちをキリストという命の光が照らしてくださっていて、そこに望みがあるのです。神の光の中を、歩んでいきましょう。命の光に照らされて、今日も生きていきましょう。