2024年10月23日水曜日

2024年10月23日の聖句

年老いた時、私を見捨てず、私が力衰えても、捨て去らないでください。(詩編71:9)
(ペトロへのイエスの言葉)よくよく言っておく。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。(ヨハネ21:18)

今日の新約聖書の御言葉は主イエスがシモン・ペトロに告げたお言葉です。これに続いて福音書記者のナレーションのような言葉が記されています。今日の箇所から続けて、改めてご紹介します。
「よくよく言っておく。あなたは、若い時は、自分で帯を締めて、行きたい所へ行っていた。しかし、年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すことになるかを占めそうとして、イエスはこう言われたのである。
聖書にはシモン・ペトロの最期は伝えられていません。伝説では皇帝ネロの迫害下、ローマの都で逆さ十字架につけられて死んだと言われています。ポーランドの作家シェンケーヴィチの名作『クオ・ワディス』という小説の最後で迫害の嵐吹きすさぶローマへ向かうペトロの姿が描かれています。忘れられない場面です。
ペトロの殉教は単なる伝説や小説の中のお話ではない。この人は実際に殉教しました。まさに「年を取ると、両手を広げ、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれ」たのです。それでは、そのようにして死んだペトロは神に見捨てられたのでしょうか。神は「年老いた時、私を見捨てず、私が力衰えても、捨て去らないでください」という祈りを無視なさったのでしょうか。
そのようなことは考えられません。ペトロの死をも通して、神の栄光が現されました。だからこそペトロはキリストを信じてキリストに従い続けたのです。このキリストの言葉に身を委ねた。神は私を見捨てず、力衰えたときにも私を決して捨てない。私たちがどのような死を迎えるにしても、神は私を決してお見捨てにはならない。私たちはそのことを信じて、私たちの生きているときも死ぬときも、自分がキリストのものであることを慰めとします。

2024年12月24日の聖句

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