人間の高ぶる目は低くされ、人の高慢は卑しめられる。
その日には、主のみが高くされる。(イザヤ2:11)
神は知恵ある者を恥じ入らせるために、世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、世の弱い者を選ばれました。また、神は世の取るに足りない者や軽んじられている者を選ばれました。すなわち、力ある者を無力な者にするため、無に等しい者を選ばれたのです。それは、誰一人、神の前で誇ることがないようにするためです。(1コリント1:27~29)
今日の御言葉は、すごく痛い言葉です。心に突き刺さります。でもできれば刺さったままにしたくないので、見なかったことにしてしまいたくなる言葉です。人間の高ぶる目、人の高慢。このように聖書が言う御言葉を耳にし、どうして自分はこんなにも高慢なのかと改めて思わずにおれません。何者でもないのにひとかどの者と思い込み、人が自分を重んじていないと感じれば気を悪くする。そのようにここに書くことも恥ずかしいことです。しかしそれでも、聖書はそんな私の心を見透かしている、と思います。
そのような高慢と戦うために、神は弱い人をお選びになったのだ、と言います。私が弱いと思っている人、いつの間にか見下している人。私たちは神の御前に何者でもない。隣人の前にも、同じです。神は私たちがよいから救ってくださったのではなく、駄目で見所もないから憐れみ、救ってくださいました。神の前に誇るべきことは一つもない。何もない。そのことを繰り返し学ばせてください、とただただ祈るだけです。
その日には、主のみが高くされる。(イザヤ2:11)
神は知恵ある者を恥じ入らせるために、世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、世の弱い者を選ばれました。また、神は世の取るに足りない者や軽んじられている者を選ばれました。すなわち、力ある者を無力な者にするため、無に等しい者を選ばれたのです。それは、誰一人、神の前で誇ることがないようにするためです。(1コリント1:27~29)
今日の御言葉は、すごく痛い言葉です。心に突き刺さります。でもできれば刺さったままにしたくないので、見なかったことにしてしまいたくなる言葉です。人間の高ぶる目、人の高慢。このように聖書が言う御言葉を耳にし、どうして自分はこんなにも高慢なのかと改めて思わずにおれません。何者でもないのにひとかどの者と思い込み、人が自分を重んじていないと感じれば気を悪くする。そのようにここに書くことも恥ずかしいことです。しかしそれでも、聖書はそんな私の心を見透かしている、と思います。
そのような高慢と戦うために、神は弱い人をお選びになったのだ、と言います。私が弱いと思っている人、いつの間にか見下している人。私たちは神の御前に何者でもない。隣人の前にも、同じです。神は私たちがよいから救ってくださったのではなく、駄目で見所もないから憐れみ、救ってくださいました。神の前に誇るべきことは一つもない。何もない。そのことを繰り返し学ばせてください、とただただ祈るだけです。