私たちの救いである神よ、その驚くべき義しさによって、私たちの声に耳を傾けてください。(詩編65:6)
何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。(1ヨハネ5:14)
神さまは私たちの声に耳を傾けてくださいます。神さまは私たちの祈りを決して無視なさいません。「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」ここにある「確信」という言葉がすごくいいなと思います。疑ってかかるのではない。半信半疑ではない。聞いてくれたらラッキーという話ではありません。確信です。神は必ず聞いてくださる。そのことを確信して、大胆に祈るのです。
ここには「神の御心にしたがって願うなら」と書いてあります。そう言われると、途端に不安になります。自分の祈りが聞かれないのは、結局、神さまの御心には適わなかったということなのか・・・。確かに、私たちは祈りにおいて過ちを犯します。祈りにおける罪がある。しかしそれは、ちゃんと正しく、キチンとした祈りをしなかったという意味ではないと思います。むしろ、半信半疑であること。縮こまってしまって、結局は神さまを小さくしていること、神さまに向かわずに自分のことばかりになっていること。そういう、もっと根っこにある姿勢が問われているのだと思います。私たちはもっと大胆になっていい。もしかしたら間違っているかもしれない。しかしそうであれば、神さまは必ず正してくださるでしょう。「主よ、私を誤った道から連れ戻してください」と祈ることさえ、私たちには許されているのです。
「私たちの救いである神よ、その驚くべき義しさによって、私たちの声に耳を傾けてください。」私たちは祈ることによって、神が救いの神でいてくださることを知ります。神さまの憐れみ深いお取り扱いを、祈りにおいて知ることができる。主があなたを招いておられます。
何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。(1ヨハネ5:14)
神さまは私たちの声に耳を傾けてくださいます。神さまは私たちの祈りを決して無視なさいません。「何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。」ここにある「確信」という言葉がすごくいいなと思います。疑ってかかるのではない。半信半疑ではない。聞いてくれたらラッキーという話ではありません。確信です。神は必ず聞いてくださる。そのことを確信して、大胆に祈るのです。
ここには「神の御心にしたがって願うなら」と書いてあります。そう言われると、途端に不安になります。自分の祈りが聞かれないのは、結局、神さまの御心には適わなかったということなのか・・・。確かに、私たちは祈りにおいて過ちを犯します。祈りにおける罪がある。しかしそれは、ちゃんと正しく、キチンとした祈りをしなかったという意味ではないと思います。むしろ、半信半疑であること。縮こまってしまって、結局は神さまを小さくしていること、神さまに向かわずに自分のことばかりになっていること。そういう、もっと根っこにある姿勢が問われているのだと思います。私たちはもっと大胆になっていい。もしかしたら間違っているかもしれない。しかしそうであれば、神さまは必ず正してくださるでしょう。「主よ、私を誤った道から連れ戻してください」と祈ることさえ、私たちには許されているのです。
「私たちの救いである神よ、その驚くべき義しさによって、私たちの声に耳を傾けてください。」私たちは祈ることによって、神が救いの神でいてくださることを知ります。神さまの憐れみ深いお取り扱いを、祈りにおいて知ることができる。主があなたを招いておられます。