2025年2月1日土曜日

2025年2月1日の聖句

2月の聖句:
あなたは私にいのちの道を知らせてくださいます。(詩編16:11)

今日の聖句:
地の塵となっている眠る人々の中から、多くの者が目覚める。ある者は永遠の命へと、またある者はそしりと永遠のとがめへと。(ダニエル12:2)
キリストが死んでよみがえられたのは、死んだ人にも生きている人にも、主となるためです。(ローマ14:9)

キリストは十字架にかけられて死に、陰府に降りました。「陰府」は、神に棄てられた者の行くべき場所です。十字架の上で「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」とキリストが叫ばれたとき、そこに陰府の深い穴が開いていたのです。
しかしキリストは死者の中から復活させられました。神に棄てられた方、陰府の底に降りて行かれた方を神がご自分の栄光の座に引き上げられたのです。
神に棄てられたこのお方こそ、死んだ者の主です。神に復活させられたこのお方こそ、生きている者の主です。キリストという、主であるお方が私たちを生きているときにも死ぬときにも治めておられます。
聖書が告げるこの事実に対する恐れを、私たちは決して失ってはならないのだと思います。私たちは、神様のことをなめてはいないでしょうか?私たちの生きるのも死ぬのも支配しておられる方だと骨身に染みてわきまえているでしょうか?もしも神を恐れることを忘れてしまっているのだとしたら、キリストの十字架と復活にひれ伏す信仰を新たにして頂かなくてはならないのではないでしょうか。私たちの生も死も、偶然や私たちの思いやこの世の力関係など、その他この類いのものが支配しているのではない。キリストを私たちにくださった神が御支配くださり、いのちの道へと導いてくださっているのです。

2025年2月5日の聖句

(神の僕の言葉)私は打とうとする者には背中を差し出し、ひげを抜こうとする者には頬を差し出した。辱めと唾から私は顔を隠さなかった。(イザヤ書50:6) (イエスの言葉)友のために命を捨てる者ほど、大きな愛をもつ者はいない。(ヨハネ15:13) 私は鞭で打たれたことはありませんが、厭...