2025年2月10日月曜日

2025年2月10日の聖句

力と洞察は神と共にあり、惑う者も惑わす者も神のものである。(ヨブ記12:16)
神は、すべての人が救われて、真理を認識するようになることを望んでおられます。(1テモテ2:4)

ここのところ、あるテレビ局の醜聞で世間が沸き立っています。テレビからCMが引き上げられるという前代未聞の事態になりました。昭和天皇が亡くなった時と東日本大震災の時には全局でCMが自粛されていましたが、一局だけがこのような事態になるというのは、なかったことです。いろいろなテレビ番組で識者と呼ばれる人やコメンテーターがこの問題についての意見を述べています。耳に入るとうんざりしてしまいます。神を畏れることがない力と洞察は、人間を化け物にします。女性を食い物にしてきた大企業、ジャーナリズムの責任を普段から果たしていないために聞くべき事を聞けないでいる他社の記者、目立ちたいだけのネットメディアの罵声、いろいろな有象無象がいるし、わたしもどこかでそんな状況を楽しんでしまっているのかもしれません。神様はこういう事態をどういうお気持ちでご覧になっているのでしょうか。
「神は、すべての人が救われて、真理を認識するようになることを望んでおられます。」神様はすべての人が救われることを望んでおられます。主イエス・キリストを信じ、キリストの救いをいただくと、私たちは真理を認識するようになる。この「真理」は、世の中の秘密を暴露するとか、世間の仕組みを知るとかではありません。もっと根本的な真理です。唯一の神がおられ、このお方がこの世界を造り、保ち、共に歩み、支配しておられる。そういうことではないでしょうか。私たちは神を畏れて生き、神を畏れて社会を形成しなければならない。ですから私たちの倫理の基準は、神への畏れです。神を畏れる者として、あなたは今日という日をどのように生きるのか。私たちは聖書からそのことを問われているのです。

2025年7月13日の聖句

今週の聖句: 互いに重荷を担いなさい。そうすればキリストの律法を全うすることになります。(ガラテヤ6:2) 今日の聖句: 主よ、夜には心からあなたを慕い求め、朝には私の霊をもってあなたを捜し求めます。(イザヤ26:9) 朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて、寂しい所へ出て行き、そ...