2025年3月29日土曜日

2025年3月29日の聖句

主はその聖なる神殿におられる。
全地よ、主の前に沈黙せよ。(ハバクク2:20)
(イエスは)人々に教えて言われた。「こう書いてあるではないか。『私の家は、すべての民の、祈りの家と呼ばれる。』」(マルコ11:17)

今日の主イエスのお言葉は、いわゆる「宮清め」と呼ばれる事件の時の言葉です。主イエスがエルサレムの神殿の境内に入ると、たくさんの人がそこで売り買いをしていた。主イエスがその人たちを追い出しておっしゃった言葉が、今朝の御言葉です。
「私の家は、すべての民の、祈りの家と呼ばれる。」それなのにそうではなくなってしまっている。何が問題だったのか。細かな説明をここですることはできません。ここでは神殿で献げるための鳩が売られたり、献金するための特別な通貨への両替が行われていました。つまり、礼拝のための便利を整えるための商売でした。礼拝を人間の都合で変質させている。しかも、この場所は、恐らく異邦人が礼拝をするための場所でもあった。そこで信仰を養うべき人がいることを無視して、自分たちの便利を追求する商売が幅をきかせていた。これでは「祈りの家」でなくなってしまっている。
私たちの献げる祈りを、神は聖なるものと見てくださっています。神の御前での祈りだからです。私たち自身の信仰が聖だからではなく、キリストがそのようなものとしてくださる。だから、私たちは礼拝や祈りを自分の便利や都合のために変質させてはならないのです。
「主はその聖なる神殿におられる。」祈るとき、私たちはそのお方の御前にいます。神の前で、私たちは聖なる祈りの奉仕に打ち込むことが許されているのです。

2025年7月2日の聖句

主は高くおられ、低くされた者を顧みる。遠くから、高慢な者を見抜かれる。(詩編138:6) (ある金持ちの言葉)「魂よ、この先何年もの蓄えができたぞ。さあ安心して、食べて飲んで楽しめ。」しかし、神はその人に言われた。「愚かな者よ、今夜、お前の魂は取り上げられる。お前が用意したものは...