お前たちの罪が神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。(イザヤ59:2)
罪の支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠の命なのです。(ローマ6:23)
今日は伝統的な教会の暦では「灰の水曜日」と呼ばれています。今日から受難節(レント)が始まります。イースターを前にして、私たちはキリストのご受難を思い、キリストがかけられた十字架を仰いで祈りの日々を過ごしていきます。
「お前たちの罪が神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。」すごく耳に痛い御言葉です。神様は自分の祈りに耳を傾けてくれない、ちっとも聞いてくれないと文句を言ってしまう。ところが、実は私たちの罪がそれを防いでしまっている。私たちの罪が神に御顔を隠させてしまっている。
「罪の支払う報酬は死です」と書いてあります。私たちは罪人です。罪人というのは、神の前に失われたもの、ということです。神のもとから背き出てしまった者、という意味です。失われた息子の譬えのように。私たち自身の罪が私たちを神から遠い者にしている。それが、罪の支払う報酬である「死」です。神に対して、私たちは死んでいる。
今日から始まる受難節を、神の前での悔い改めの祈りの日々として生きていきたいと願います。自分の毎日の歩みを、神様の御前で心を静めて振り返ってみましょう。神の御心に適う私なのか?神を蔑ろにし、隣人への愛にもとる私ではないか?聖なる悔い改めの日々を、始めていきましょう。その祈りの中、私たちは、私たちの祈りに先立つキリストにある永遠の命の尊い宝に生かされていることを知るのです。
罪の支払う報酬は死です。しかし、神の賜物は、私たちの主イエス・キリストにある永遠の命なのです。(ローマ6:23)
今日は伝統的な教会の暦では「灰の水曜日」と呼ばれています。今日から受難節(レント)が始まります。イースターを前にして、私たちはキリストのご受難を思い、キリストがかけられた十字架を仰いで祈りの日々を過ごしていきます。
「お前たちの罪が神の御顔を隠させ、お前たちに耳を傾けられるのを妨げているのだ。」すごく耳に痛い御言葉です。神様は自分の祈りに耳を傾けてくれない、ちっとも聞いてくれないと文句を言ってしまう。ところが、実は私たちの罪がそれを防いでしまっている。私たちの罪が神に御顔を隠させてしまっている。
「罪の支払う報酬は死です」と書いてあります。私たちは罪人です。罪人というのは、神の前に失われたもの、ということです。神のもとから背き出てしまった者、という意味です。失われた息子の譬えのように。私たち自身の罪が私たちを神から遠い者にしている。それが、罪の支払う報酬である「死」です。神に対して、私たちは死んでいる。
今日から始まる受難節を、神の前での悔い改めの祈りの日々として生きていきたいと願います。自分の毎日の歩みを、神様の御前で心を静めて振り返ってみましょう。神の御心に適う私なのか?神を蔑ろにし、隣人への愛にもとる私ではないか?聖なる悔い改めの日々を、始めていきましょう。その祈りの中、私たちは、私たちの祈りに先立つキリストにある永遠の命の尊い宝に生かされていることを知るのです。