2025年5月10日土曜日

2025年5月10日の聖句

私は近くにいる神なのかー主の仰せ。
遠くにいる神ではないのか。(エレミヤ23:23)
三時にイエスは大声で叫ばれた「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。(マルコ15:34)

今日の御言葉は、私たちの信仰的な甘えを厳しく裁きます。「私は近くにいる神なのかー主の仰せ。遠くにいる神ではないのか。」私たちは本当に簡単に思ってしまいます。神様はいつでも側にいてくださる優しい神様、と。確かに、神様はお優しい方でしょう。愛に満ちたお方でしょう。しかしそれは聖なる愛です。神が愛に富んでおられるということと、私たちがなれなれしくするということとは別問題です。
遠くにいる神。私は、本当に簡単に「神はいつも一緒にいてくださる」と言ってしまいます。そこには畏れがありません。神を神として、聖なるお方として畏れ敬い、神様らしく接するということをすぐに忘れてしまいます。それは、とても罪深いことです。
主イエス・キリストは十字架の上で「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばれました。罪人が立つべき遠さです。神の子であるこの方ほど神から遠く離れたところに降って行かれたお方は他にはいません。キリストこそ、神から最も遠いところにおられるお方です。陰府のどん底です。だから、神から最も遠いところで、私たちは神と出会う。私に代わって罪の裁きをお受けになった方を通して、私たちは神と出会う。
神を畏れ、このお方の前にへりくだってあがめましょう。神を礼拝し、神をあがめる幸いに立ち帰りましょう。ここに私たちの生きる道がある。私たちはそのことを素直に信じてよいのです。

2025年7月12日の聖句

主はこう言われる。私は恵みの時にあなたに応え、救いの日にあなたを助けた。(イザヤ49:8) 今こそ待望していた時、今こそ救いの日。(2コリント6:2) 今こそ、と今日の新約聖書の御言葉は言います。「今こそ」です。救いの日は、もう私たちのところへ訪れています。今日、この御言葉を聞い...