2025年5月9日金曜日

2025年5月9日の聖句

あなたの同胞は、「主の道は公正ではない」と言っている。しかし彼らの道こそ公正ではない。(エゼキエル33:17)
神に不正があるのか。決してそうではない。(ローマ9:14)

どこに基準を置くかによって何が不正に見えるのかが変わります。私たちの側に基準を据えれば、神のなさることが不正に見える。神はどうしてこんなにひどいことをするのか、と・・・。私たちはどうしても自分の感覚を物差しにして神様を裁いてしまいます。「主の道は公正ではない。」
そんな私たちにとって、「しかし彼らの道こそ公正ではない」という神さまの御言葉は、天動説が地動説にひっくり返ってしまうほどの大逆転です。公正ではないのは神の道ではなく、私の道の方。「私」という人間が曲がった物差しなのであって、公正を図る基準になり得ていなかった・・・。
神様の正しさの物差しは、主イエス・キリストとして私たちに示されました。キリストに示された神の愛にこそ、神様の公正さがあますところなく現れています。私たちの目には不条理に映ることや、意味の分からない出来事もたくさん起こります。分からないことは分からないと認めていいのだと思います。無理に分かった振りをする必要もありません。しかし、それでも、キリストにあってすべてのことは永遠の祝福へと向かっていると私たちには信じることができる。キリストに示された神の愛を、神ご自身が裏切ることは絶対にない。私はそのことを確信しています。私たちの目には今のことしか見えませんが、神様の永遠のまなざしはすべてのことを見ておられる。永遠の愛であるお方に、私たちの思う「公正」を明け渡し、神のなさることを信じてみませんか?

2025年5月15日の聖句

神よ、砕かれ悔いる心を あなたは侮りません。(詩編51:19) (イエスの言葉)徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。「神様、罪人の私を憐れんでください」。言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人である。(ルカ18:13~14) 「義とされて...