シオンよ、恐れるな
力を落としてはならない。
主はあなたがたのただ中におられ、
あなたに救いをもたらす勇者である。(ゼファニヤ3:16~17)
疑いを抱く人たちを憐れみなさい。(ユダ22)
どんなに恐るべき災いがあり、困難の中にあろうとも、神様が私たちに語りかけてくださいます。「シオンよ、恐れるな。力を落としてはならない。主はあなたがたのただ中におられ、あなたに救いをもたらす勇者である。」主ご自身が私たちの中にいてくださいます。主が私たちのための勇者となってくださって、私たちのために罪と悪と死の力と戦ってくださる。これを信じよ、と聖書は言います。
しかし、神様は憐れみ深いお方です。私たちの不信仰の罪を誰よりもよく知り、私たちを励ましてくださいます。「疑いを抱く人たちを憐れみなさい。」主は私たちにそうおっしゃいます。
この言葉は本当にすごい言葉だと思います。「疑いを抱く人」を前にしたときの私たちのありがちな反応は、二つだと思います。一方では、疑いを抱く人を裁いてしまう。そこには憐れみがありません。他方では「こんなことがあっては疑っても仕方ないよ」、と一見すると憐れみと同情をよせたかのような言葉を口にする。しかしそれは神様の憐れみを遠くに眺めているだけで、結局その人が疑いの中で神様から遠ざかることを「仕方がない」と見放すことになりかねません。
ところが聖書は言うのです。「疑いを抱く人たちを憐れみなさい。」憐れむというのは、裁くことでもなあなあにすることでもありません。隣人が疑いの中で悲しみや怒りや憎しみに沈み込んでいる。その場所に一緒に潜り込む。しかしどん底から神様を仰ぐ。これこそ陰府に降ったキリストが私たちのためにしてくださったことです。
疑いを抱く人の隣に行き、祈れないその人のために静かに祈りましょう。その人に代わって信じ続けましょう。押しつけるのではなく、しかし諦めるのでもなく、忍耐して信じ続けましょう。必ず、再び共にキリストの御顔を仰いで満ち足りる日が来る。その日を信じ続けましょう。
力を落としてはならない。
主はあなたがたのただ中におられ、
あなたに救いをもたらす勇者である。(ゼファニヤ3:16~17)
疑いを抱く人たちを憐れみなさい。(ユダ22)
どんなに恐るべき災いがあり、困難の中にあろうとも、神様が私たちに語りかけてくださいます。「シオンよ、恐れるな。力を落としてはならない。主はあなたがたのただ中におられ、あなたに救いをもたらす勇者である。」主ご自身が私たちの中にいてくださいます。主が私たちのための勇者となってくださって、私たちのために罪と悪と死の力と戦ってくださる。これを信じよ、と聖書は言います。
しかし、神様は憐れみ深いお方です。私たちの不信仰の罪を誰よりもよく知り、私たちを励ましてくださいます。「疑いを抱く人たちを憐れみなさい。」主は私たちにそうおっしゃいます。
この言葉は本当にすごい言葉だと思います。「疑いを抱く人」を前にしたときの私たちのありがちな反応は、二つだと思います。一方では、疑いを抱く人を裁いてしまう。そこには憐れみがありません。他方では「こんなことがあっては疑っても仕方ないよ」、と一見すると憐れみと同情をよせたかのような言葉を口にする。しかしそれは神様の憐れみを遠くに眺めているだけで、結局その人が疑いの中で神様から遠ざかることを「仕方がない」と見放すことになりかねません。
ところが聖書は言うのです。「疑いを抱く人たちを憐れみなさい。」憐れむというのは、裁くことでもなあなあにすることでもありません。隣人が疑いの中で悲しみや怒りや憎しみに沈み込んでいる。その場所に一緒に潜り込む。しかしどん底から神様を仰ぐ。これこそ陰府に降ったキリストが私たちのためにしてくださったことです。
疑いを抱く人の隣に行き、祈れないその人のために静かに祈りましょう。その人に代わって信じ続けましょう。押しつけるのではなく、しかし諦めるのでもなく、忍耐して信じ続けましょう。必ず、再び共にキリストの御顔を仰いで満ち足りる日が来る。その日を信じ続けましょう。