2025年5月28日水曜日

2025年5月28日の聖句

終わりの日に、国は国に向かって剣を上げず
もはや戦いを学ぶことはない。(イザヤ2:2,4)
すべての人と共に平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、誰も主を見ることはできません。(ヘブライ12:14)

私たちの生きているこの世界は、本当に深く傷ついています。時代そのものが病気になっていると思います。憎しみが渦巻いているし、本当に深く分断されています。ガザやウクライナの民衆に対する攻撃が終わりません。ミャンマーでの軍事政権の支配下での地震の被害もありました。民の痛みのどんなに深いことでしょうか。
「終わりの日に、国は国に向かって剣を上げず、もはや戦いを学ぶことはない。」預言者イザヤはそのように語りました。イザヤが生きた時代も、やはり戦争で傷ついていましたし、権力者は他国との軍事同盟や大国の傘に入ることの方が神を信じるよりも現実的だと考えていました。現代と全く同じです。しかしそういう時代に逆らうようにして言うのです。「終わりの日に、国は国に向かって剣を上げず、もはや戦いを学ぶことはない。」神を信じ、神が必ず平和をもたらしてくださると信じ、その幻に生き続けた。この一人の信仰者であり預言者である人物の言葉は、今も私たちの間に響き続けます。
私たちはこの時代にあって、時代がどうであろうとも神を信じ、神に従います。平和を築きます。聖なる生活、すなわち神のものとして生きる生活を形づくります。「すべての人と共に平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、誰も主を見ることはできません。」その人は主を見る。聖書はそう約束する。主イエスさまを私たちは仰ぎ、この世界にあって平和を追い求める。平和という理想を捨てません。平和を作り出す人として生きたい、と私たちは願います。主がそのような私にしてください、と今日も祈りつつ新しい一日に歩み出します。

2025年7月12日の聖句

主はこう言われる。私は恵みの時にあなたに応え、救いの日にあなたを助けた。(イザヤ49:8) 今こそ待望していた時、今こそ救いの日。(2コリント6:2) 今こそ、と今日の新約聖書の御言葉は言います。「今こそ」です。救いの日は、もう私たちのところへ訪れています。今日、この御言葉を聞い...