2025年6月21日土曜日

2025年6月21日の聖句

主の中の主に感謝せよ。
ただひとり大いなる奇しき業を行う方に。
慈しみはとこしえに。(詩編136:3,4)
群衆は、フィリポの行った数々のしるしを見て、こぞってその話に耳を傾けた。町の人々は大変喜んだ。(使徒8:6,8)

今日の旧約聖書に「主の中の主」という言葉があります。旧約聖書では「主」という日本語に翻訳されている言葉が、代表的なところでは二つあります。一つは、神さまのお名前を表す固有名詞です。そしてもう一つ、今日の箇所で使われているのはこちらですが、一般名詞で「主」と訳される言葉があります。こちらは主人とか王とか、主(あるじ)とか、そういった意味を持つ言葉です。ですので、今日の「主の中の主」というのは、私たちのまことのご主人、まことの王、私たちのまことの主(あるじ)という意味になります。「主人」と呼ばれるものは世の中にたくさんあれど、神さまこそがまことのご主人様に他ならない。
ところで少し話が変わりますが、今日の新約聖書はフィリポがサマリアの町で伝道したときの様子を伝えています。もともと、サマリアの人々は主イエスに見向きもしませんでした。イエス様がユダヤ人だからです。サマリア人とユダヤ人はとても仲が悪かったのです。ところがイエス様の十字架と復活、昇天の後、フィリポがサマリアの町へ伝道に行ったときには彼の言葉にサマリアの人々が耳を傾けました。キリストの福音を聞き、町の人々は喜びました。
イエス様こそ主の中の主。サマリアの人々はフィリポの言葉を通してその事実を知り、喜んで信じました。私たちも同じです。例えこれまでどんなにキリストから遠く離れて生きてきたのだとしても、自分の人生の主人は自分自身だと思ってきたのだとしても、キリストの福音は私たちを捕らえます。神のものとします。キリストに耳を傾け、喜んでこれからの人生を生きていきたい。そう願います。

2025年7月3日の聖句

人間の心は自分の道のことに思いを巡らすが、主がその一歩を確かなものとする。(箴言16:9) 言葉であれ行いであれ、あなたがたがすることは何でも、すべて主イエスの名によって行い、イエスによって父なる神に感謝しなさい。(コロサイ3:17) 神さまを信じる私たちにとって、自分の生き方や...