2025年6月20日金曜日

2025年6月20日の聖句

私の方へ向き直り、私に恵みを与えてください。なぜなら私は孤独でみじめだからです。(詩編25:16)
ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください。(マルコ10:47)

「私を憐れんでください。」これこそ私たちの祈り、私たちの願いです。
代々の教会で、無数の人々が同じように祈ってきました。「私を憐れんでください。主よ、憐れんでください。」ただ神に向かって、神の憐れみを求めて、祈りが捧げられてきた。なぜなら、「私は孤独で惨めだからです。」神様の御前で自分を省みるなら、私たちはそのことを深く思わないわけにはいきません。惨めで、救いようのない私。ただ神の恵みを求め、神の憐れみをこいねがうのでなければ生きられない私。「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください。」
キリスト者の詩人八木重吉がこのような詩を詠んでいます。
「てんにいます おんちちうえをよびて おんちちうえさま おんちちうえさまととなえまつる 入きたるいきにてよびたてまつる われはみなをよぶばかりのものにてあり」
この一人のキリスト者が息を吸いながら、そして恐らく吐きながら、「御父上さま」と神を呼び、その憐れみを求めて祈ったのと同じように、私たちも祈りましょう。「御父上さま、神さま、私を憐れんでください」。必ず天の父はこの祈りを聞いてくださり、私たちに応えてくださいます。私たちを神の憐れみによって、生かしてくださいます。

2025年7月2日の聖句

主は高くおられ、低くされた者を顧みる。遠くから、高慢な者を見抜かれる。(詩編138:6) (ある金持ちの言葉)「魂よ、この先何年もの蓄えができたぞ。さあ安心して、食べて飲んで楽しめ。」しかし、神はその人に言われた。「愚かな者よ、今夜、お前の魂は取り上げられる。お前が用意したものは...