9月の聖句:
神は我らの逃れ場、我らの力。(詩編46:2)
今日の聖句:
今日までしてきたように、あなたがたの神、主にのみ付き従わなければならない。(ヨシュア23:8)
ある人たちの習慣に倣って集会をやめたりせず、かえって励まし合いましょう。かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。(ヘブライ10:25)
ヘブライ人への手紙が誰の手で書かれ、誰に宛てられたのかは定かではありません。もともとは何通かの別の手紙であったものがつなげられて今日のかたちになっている、と考えられているようです。しかも、それも元は教会で実際に語られた説教から生まれたのではないか、という説があるようです。
手紙の受け手が誰なのか確たることは分かりませんが、迫害下の教会であったことは内容から想像されます。教会で集まって礼拝を献げるということ自体に大きな困難を覚えていた教会で語られた説教。それがヘブライ人への手紙ではないか、と推測されている。
そうすると、今日の箇所の意味もよく分かります。「ある人たちの習慣に倣って集会をやめたりせず、かえって励まし合いましょう。」教会の集会に行くことを止めてしまう仲間たちが実際にたくさんいたのでしょう。礼拝や祈りとは異なる習慣が教会の中にはびこってしまった。しかし「かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」と呼びかけます。「かの日」というのは、キリストが再び来られる日です。主イエスをお迎えする日を待ち望んで、共に祈って生きていこう、と励ましているのです。
私たちは、私たちの神である主にのみ付き従いましょう。他の何者でもなく、ただ主イエスさまに付き従い、主の憐れみの中を生きていきましょう。ここにこそ救いがあるし、慰めがあります。主イエス・キリストの恵みと祝福が今日もあなたにありますように。
神は我らの逃れ場、我らの力。(詩編46:2)
今日の聖句:
今日までしてきたように、あなたがたの神、主にのみ付き従わなければならない。(ヨシュア23:8)
ある人たちの習慣に倣って集会をやめたりせず、かえって励まし合いましょう。かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。(ヘブライ10:25)
ヘブライ人への手紙が誰の手で書かれ、誰に宛てられたのかは定かではありません。もともとは何通かの別の手紙であったものがつなげられて今日のかたちになっている、と考えられているようです。しかも、それも元は教会で実際に語られた説教から生まれたのではないか、という説があるようです。
手紙の受け手が誰なのか確たることは分かりませんが、迫害下の教会であったことは内容から想像されます。教会で集まって礼拝を献げるということ自体に大きな困難を覚えていた教会で語られた説教。それがヘブライ人への手紙ではないか、と推測されている。
そうすると、今日の箇所の意味もよく分かります。「ある人たちの習慣に倣って集会をやめたりせず、かえって励まし合いましょう。」教会の集会に行くことを止めてしまう仲間たちが実際にたくさんいたのでしょう。礼拝や祈りとは異なる習慣が教会の中にはびこってしまった。しかし「かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」と呼びかけます。「かの日」というのは、キリストが再び来られる日です。主イエスをお迎えする日を待ち望んで、共に祈って生きていこう、と励ましているのです。
私たちは、私たちの神である主にのみ付き従いましょう。他の何者でもなく、ただ主イエスさまに付き従い、主の憐れみの中を生きていきましょう。ここにこそ救いがあるし、慰めがあります。主イエス・キリストの恵みと祝福が今日もあなたにありますように。