2025年9月2日火曜日

2025年9月2日の聖句

(ダビデの言葉)主なる神よ、わたしがだれ、わたしの家が何であるので、あなたはこれまでわたしを導かれたのですか。(サムエル下7:18)
リディアと彼女の家族の者も洗礼を受けたが、その時、「私が主を信じる者だとお思いでしたら、どうぞ、私の家に来てお泊まりください」と言って、無理やり招き入れた。(使徒16:15)

私たちは一体何者でしょう。私の家をたどったとしても、一体それで何者だと言いうるのでしょうか。人の前にはもちろんのこと、まして神様に対して私たちは一体何者だと言いうるのでしょうか。しかも、そんな私であるにも拘わらず「あなたはこれまで私を導かれた」。神が何者でもない私を導き、これまでの歩みを支えてくださった。
今日の新約聖書は、使徒パウロたちがフィリピを訪れたときに出会ったリディアという女性の言葉を伝えています。リディアは紫布を扱う商人でした。紫布は高価ですから、リディアも裕福な人であったと思います。そんなリディアもその家族も主イエスを信じて洗礼を受けました。リディアはパウロたちに「私が主を信じる者だとお思いでしたら・・・」と言います。彼女は、自分の家柄を見てくれとか、裕福な私であることなどについては何も言いません。神様の御前にも、主にあって出会ったパウロに対しても、そのようなことではなく、ただ「主を信じる者」ということだけが意味を持ったのです。
私たちはただキリストを信じ、キリストのものとして生かされている。それだけの存在です。主イエス・キリストのものとされ、主を信じる者として私たちは互いに出会い、神の御前に生かされているのです。

2025年9月3日の聖句

あなたがたに新しい心を与え、あなたがたの内に新しい霊を授ける。(エゼキエル36:26) 敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。天におられるあなたがたの父の子となるためである。(マタイ5:44~45) 主なる神さまが約束してくださいました。「あなたがたに新しい心を与え、あなたがた...