2025年10月28日火曜日

2025年10月28日の聖句

破滅に先立つのは驕り、つまずきに先立つのは高慢な霊。(箴言16:18)
イエスは言われた。「人から出てくるもの、これが人を汚す。」(マルコ7:20)

驕りや高慢は、本当に巧妙に、そして簡単に忍び込んできます。私はすぐにそういう悪い心の侵入を許し、負けてしまいます。どうして驕ってしまうのか。自分を見誤っているからなのかもしれません。なぜ高慢に覆い尽くされてしまうのか。神さまの前にへりくだることを忘れているからなのかもしれません。
「破滅に先立つのは驕り、つまずきに先立つのは高慢な霊。」どちらも、私の心の中から生まれてくるものです。「人から出てくるもの、これが人を汚す。」外にあるものや他人のせいで自分が罪の虜になって汚れてしまうのではない。私の中から出てくるものが私を汚している。主イエスはそうおっしゃいます。「罪」に捕らわれることの恐ろしさを思わされます。
ここでもう一度改めて考えたいのは、どうして驕りや高慢が罪なのか、ということです。人として感じが悪いからとか、そのような言動は鼻につくからとか、そういうこともあるかもしれません。しかし、人間性の問題みたいなものが決定的な理由ではありません。
私たちが罪とは何かを知ることができるのは、主イエスさまのお姿から、逆説的に知ることができるだけなのだと思います。主イエス・キリストはへりくだったお方です。神の身分でありながら、ご自身をむなしくして、僕の姿を取り、人間となられ、十字架の死に至るまで従順になられたお方です。誰よりも尊いお方が誰よりも低くへりくだられました。この主イエスさまのへりくだったお姿から、逆説的に、私たちは高慢が罪であることを知ります。驕りの罪は、謙虚の極みにおられる主イエスさまのお姿から知らされる事実です。
ですので、驕りと高慢にもし今私たちが支配されているのなら、へりくだりの主イエスさまにおすがりするしかありません。十字架の死に至るまでへりくだられたお方だけが高ぶる私を救うことがおできになるのです。

2026年2月16日の聖句

見よ、わたしは使者を送る。 彼はわが前に道を備える。(マラキ3:1) その時、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、選ばれた者を四方から呼び集める。(マルコ13:27) 地の果てから天の果てまで、と主イエス・キリストはおっしゃいます。凄いスケールです。地の果ての私た...