2025年10月29日水曜日

2025年10月29日の聖句

(主の言葉)それゆえ、今もし私の声に聞き従い、私の契約を守るならば、あなたがたはあらゆる民にまさって私の宝となる。(出エジプト記19:5)
(イエスの言葉)あなたがたも、私の戒めを守るなら、私の愛にとどまっていることになる。(ヨハネ15:10)

主なる神さまを信じる私たちの信仰は、主の御言葉に聞き従うということです。御言葉を聞いて安心しているだけとか、自分の好みの聖書の言葉を標語のように準備しておくとか、そういうことではない。私たちがご自身に実際に従うことを、神さまは求めておられます。
もしも我が家で、子どもたちに「もう遅いから早く寝なさい」と私が妻に言ったとします。子どもたちが「お父さんは早く寝なさいと言っているけれど、それは私の体が心配だという気持ちを伝えてくれているということ。私が楽しい時間をすごしていることもお父さんは嬉しいはずだし、本当に今すぐ寝なさいという意味ではないから、まだテレビを見ていて大丈夫」などと言ったら・・・、そんな屁理屈は通りません。ところが私たちは神さま相手にそういう無茶な話を押し通そうとしてしまいがちです。
「あなたがたも、私の戒めを守るなら、私の愛にとどまっていることになる。」主イエスはそうおっしゃいます。神が私たちを愛してくださっているという事実は、どんなときにも確かに揺るがない。しかし、私が神を愛し、私が神の愛に留まるというのはどういうことか。キリストの戒めに留まることではないか、とおっしゃっているのです。
神さまの戒めに従うことなど私にはできない、不可能だ、人間にできるわけがないと投げ出す前に、主の言葉を信じて進み出てみることを主イエスさまは求めておられるのかもしれません。主の御言葉に従いたいという切なる願いと、その困難さの中で覚える私の罪。それを日々真剣に悔い改める道こそが、神を信じる者の道であるのかもしれません。

2026年7月2日の聖句

主なる神よ、あなたの大いなる業によって贖い出したあなたの所有の民を滅ぼさないでください。(申命記9:26) (ヨセフへの天使の言葉)「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」(マタイ1:21) 今日の旧約に「贖い出...