2025年12月11日木曜日

2025年12月11日の聖句

私はとこしえの愛をもってあなたを愛し、慈しみを注いだ。(エレミヤ31:3)
神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。(ヨハネ3:16)

神さまの愛は私たちにはあまりにも広く、長く、高く、深くて、想像が及びません。「私はとこしえの愛をもってあなたを愛し、慈しみを注いだ。」とこしえの愛、と神さまは言われます。私たちは「とこしえの愛」を知りません。私たちの愛はどんなに純粋でも限りがあるし、そもそも私たちはとこしえに生きられる存在ではない。しかし神さまの愛はとこしえです。私たちは神さまの愛にすっぽりと包み込まれている。
そのことを思うと「愛」という同じ言葉で神さまの愛と私たちの愛とを言い表してよいのだろうか、とさえ思います。あまりにも質が違う。私の持っているものはあまりに身勝手で、損得ばかりが先に立ち、「愛」という言葉をあてるのがはばかれるようなものでしかない。愛と言いながら愛でも何でもないという私の現実は、罪という言葉で言わねばならない現実であるのかもしれません。
しかしそうであるからこそ、神さまはとこしえの愛で私たちを愛して下さっているのではないでしょうか。神さまは、ご自分のとこしえの愛を最上の仕方で現してくださいました。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」これほどの愛は他には絶対に存在しません。神であるお方が、造られたものに過ぎない私たちのために独り子を与えてくださったのです。私たちにあるものは愛と呼ぶことのできないつまらないものでしかないけれど、それでもなお神は私を永遠の愛で愛し、独り子を与え、私をご自分のものとしてくださった。私にあるのはその事実だけ。それでよい。それだけでよいのです。

2026年5月29日の聖句

主よ、私は知っています。 人間はその道を確かにできないことを。(エレミヤ書10:23) (富める者の言葉)「魂よ、この先何年もの蓄えができたぞ。さあ安心して、食べて飲んで楽しめ。」しかし、神はその人に言われた。「愚かな者よ、今夜、お前の魂は取り上げられる。お前が用意し...