主なる神よ、あなたはまことに大いなる方。私たちの知るかぎり、あなたのような方はなく、あなたのほかに神はありません。(サムエル下7:22)
私はアルファでありオメガ、最初の者にして最後の者、初めであり終わりである。(黙示録22:13)
すべてのものには初めがあって、終わりがあります。この宇宙全体の初めは、ビッグバンでしょうか。それでは、終わりは?こちらにもいくつかの説があるようです。初めや終わりがどのようなものであったとしても、それもまた神の御手の中にあると私たちは信じています。
しかし、もっと私たちにとって身近で重要なのは、この私自身の始まりと終わりだと思います。私は私自身の力で命を始めることはできないし、終わりも自分で決めることはできません。それは神さまの御手の中にある。私たちにとっては「死」も謎に包まれた闇ですが、それだけではなく、生まれる前のことも謎です。私も、それどころか父も母もまだ生まれていなかったとき。私はどこにも存在していない。父母未生以前の闇もまた恐るべきもの。しかし、そのすべてを神が治めておられます。
「主なる神よ、あなたはまことに大いなる方。私たちの知るかぎり、あなたのような方はなく、あなたのほかに神はありません。」
へりくだって、このお方を畏れ、敬うということこそが私たちの人間らしい姿なのだと改めて思わされます。人間としての分を知り、限られた命の有り難さに感謝し、与えられた者に満足すること。そういう人間らしさを取り戻したい。そのように思わされています。
私はアルファでありオメガ、最初の者にして最後の者、初めであり終わりである。(黙示録22:13)
すべてのものには初めがあって、終わりがあります。この宇宙全体の初めは、ビッグバンでしょうか。それでは、終わりは?こちらにもいくつかの説があるようです。初めや終わりがどのようなものであったとしても、それもまた神の御手の中にあると私たちは信じています。
しかし、もっと私たちにとって身近で重要なのは、この私自身の始まりと終わりだと思います。私は私自身の力で命を始めることはできないし、終わりも自分で決めることはできません。それは神さまの御手の中にある。私たちにとっては「死」も謎に包まれた闇ですが、それだけではなく、生まれる前のことも謎です。私も、それどころか父も母もまだ生まれていなかったとき。私はどこにも存在していない。父母未生以前の闇もまた恐るべきもの。しかし、そのすべてを神が治めておられます。
「主なる神よ、あなたはまことに大いなる方。私たちの知るかぎり、あなたのような方はなく、あなたのほかに神はありません。」
へりくだって、このお方を畏れ、敬うということこそが私たちの人間らしい姿なのだと改めて思わされます。人間としての分を知り、限られた命の有り難さに感謝し、与えられた者に満足すること。そういう人間らしさを取り戻したい。そのように思わされています。