エフライムは、わたしの大切な子、喜びの子なのか。
わたしは彼を責めるたびに、ますます彼のことを思い起こすようになる。
それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき
わたしは彼をあわれまずにはいられない。ー主のことばー(エレミヤ31:20)
神はあらかじめ選ばれたご自身の民を退けたりなさいませんでした。(ローマ11:2)
ここに出てくる「エフライム」というのは、イスラエルの民のことです。神さまに繰り返し背き、軍事力や政治力で生き延びようとしましたが、結局は滅んでいきました。しかし彼をご覧になりながら、主なる神さま言われます。「エフライムは、わたしの大切な子、喜びの子なのか。わたしは彼を責めるたびに、ますます彼のことを思い起こすようになる。」神さまは私たちの背きが招く裁きの現実をご覧になりながら、しかし「お前はわたしの喜びではないのか」と言い続けてくださっています。私たちの悲惨をご覧になりながらはらわたを痛め、身も心も苦しむような呻くような思いで私たちを想ってくださり、私たちを憐れんでくださっている。今日の旧約の御言葉は、私たちを惜しんでくださる神さまの憐れみを語り出しています。
神さまはご自分の民を退けるようなことはなさらない。私たちに惜しむべき価値があるからではない。私たちにもったいないと神に思わせるような隠れた魅力があるからではない。ただご自身の憐れみのゆえに、神は私たちを捨てず、ご自分の選びを貫徹してくださいます。
「エフライムはわたしの大切な子、喜びの子」と言ってくださいます。神さまから喜びを奪い、神さまの「大切」という思いを裏切る私たちになお言ってくださっています。主の憐れみにすがりましょう。そして私たちもまた主イエス・キリストを喜びましょう。
わたしは彼を責めるたびに、ますます彼のことを思い起こすようになる。
それゆえ、わたしのはらわたは彼のためにわななき
わたしは彼をあわれまずにはいられない。ー主のことばー(エレミヤ31:20)
神はあらかじめ選ばれたご自身の民を退けたりなさいませんでした。(ローマ11:2)
ここに出てくる「エフライム」というのは、イスラエルの民のことです。神さまに繰り返し背き、軍事力や政治力で生き延びようとしましたが、結局は滅んでいきました。しかし彼をご覧になりながら、主なる神さま言われます。「エフライムは、わたしの大切な子、喜びの子なのか。わたしは彼を責めるたびに、ますます彼のことを思い起こすようになる。」神さまは私たちの背きが招く裁きの現実をご覧になりながら、しかし「お前はわたしの喜びではないのか」と言い続けてくださっています。私たちの悲惨をご覧になりながらはらわたを痛め、身も心も苦しむような呻くような思いで私たちを想ってくださり、私たちを憐れんでくださっている。今日の旧約の御言葉は、私たちを惜しんでくださる神さまの憐れみを語り出しています。
神さまはご自分の民を退けるようなことはなさらない。私たちに惜しむべき価値があるからではない。私たちにもったいないと神に思わせるような隠れた魅力があるからではない。ただご自身の憐れみのゆえに、神は私たちを捨てず、ご自分の選びを貫徹してくださいます。
「エフライムはわたしの大切な子、喜びの子」と言ってくださいます。神さまから喜びを奪い、神さまの「大切」という思いを裏切る私たちになお言ってくださっています。主の憐れみにすがりましょう。そして私たちもまた主イエス・キリストを喜びましょう。