2023年10月7日土曜日

2023年10月7日の聖句

(エレミヤの祈り)聞き入れてください。主よ、聞き入れてください。そうすれば、民は知るでしょう。主、あなたが神であり、彼らの心を再びあなたへと戻してくださったことを。(列王記上18:37)
(イエスのペトロへの言葉)しかし、わたしは、あなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。(ルカ22:32)

私たちは神様を信じています。キリストを信じています。しかし聖書を読んで知らされることは、私たちが神を信じるその信仰は、神が与えてくださったものだ、ということです。驚くべきことです。わたしの心から湧き上がってくる信仰心や思いである以前に、神様がわたしの内に働いてくださって、その信仰を与えてくださるという事実です。
今日の新約の御言葉は、主イエスが弟子のペトロにおっしゃった言葉です。この後、ペトロは主イエスを裏切ることになる。主イエスは予めそのことを予告なさいました。ペトロはそれを打ち消して、絶対に裏切らないと啖呵を切りました。主イエスはそんな彼に、あなたは必ず裏切ることになると告げた。しかしそうやってペトロを突き放してしまったのではない。それと同時におっしゃった。「しかし、わたしは、あなたのために、信仰がなくならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」この先ペトロはイエスを裏切り、信仰者として完全に倒れてしまう。信仰を失う。しかし、その信仰をペトロが失うことのないように、主イエスは祈っていてくださる。ペトロは立ち直ることができる。
私たちに信仰を与えてくださったのも、それに挫折してぺちゃんこになったときに再び立ち直らせてくださるのも、神様です。主イエスさまの祈りが私たちを支えてくださる。私たちは、ペトロと同じように立派な信仰者でもなければ信じることや愛することに挫折するダメなやつにすぎないかも知れません。しかし、そんなわたしの信仰がなくならないように、主イエスが祈っていてくださる。信じられないほどありがたいことです。
信じましょう。主イエスが祈っていてくださることを。だからわたしも大丈夫なのだと、信じましょう。キリストの祈りによって支えて頂いているわたしなのだということを信じて、今日の日を歩んでいきましょう。

2023年10月6日金曜日

2023年10月6日の聖句

私の声に聞き従え。そうすれば、私はあなたがたの神となり、あなた方は私の民となる。(エレミヤ7:23)
(イエスの言葉)あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。(ヨハネ8:31)

主イエスさまの御声。神の言葉。この声に聞き、この言葉に従う。それが、神を信じるということです。神さまの御言葉こそ、私たちの命です。
今日の新約聖書には主イエスの言葉が伝えられています。「あなたがたは、わたしのことばにとどまるなら、本当にわたしの弟子です。」ヨハネによる福音書第8章を見ると、これは、ご自分を信じたユダヤ人たちに言った言葉のようです。イエスさまと出会い、信じ始めていた。ところがイエスと実際に話してみると、次第に躓き始めます。そしてしまいにはイエスに向かって悪魔呼ばわりまでするようになります。彼らはイエスを信じたいと思いましたが、イエスの言葉に留まることができませんでした。怒りとか、怒りを引き起こす自分の思い込みとか、信じることによって自分が変わっていくことへの恐れとか、そういう思いが邪魔をしたのかも知れません。
今、私たちの心の中はどうでしょう。怒りや思い込みや恐れに支配されてはいないでしょうか。心の中のわだかまりが、主イエスを信じることを邪魔します。しかし、主イエスが私たちに語りかける言葉は、いつでも福音の言葉です。良い知らせです。今日、新約聖書の御言葉として掲げられている言葉に続くのは、「あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にする」という言葉です。主イエスは私たちを自由にしてくださる。怒りから、思い込みから、恐れから、キリストが私たちを自由にしてくださる。だから、イエスの言葉に一心に耳を傾けましょう。よく聞きましょう。そして、それを受け入れ、イエスの言葉に留まりましょう。私たちの怒りや恐れは、私たちがそれに留まるほどの価値がありません。むしろ自由をもたらす真理の言葉にこそ、私たちに命を与える尊い価値があるのです。

2023年10月5日木曜日

2023年10月5日の聖句

主がイスラエルの家に告げられた良いことは、一つもたがわず、すべて実現した。(ヨシュア21:45)
群衆のすべてはイエスにより行われたすべての輝かしい御業を喜んだ。(ルカ13:17)

主イエス・キリストにあって、神の福音はすべて、あますところなく、完全に実現しました。キリストが私たちの間にひとりのみどりごとしてお生まれになり、生き、苦しみ、十字架にかけられた。そして三日目に復活し、そのキリストと弟子たちは再び出会った。主イエスのなさった一つひとつの御業によって、神は私たちの間で福音を成就してくださいました。
キリストが宣言したとおり、神の国は来た。神の支配がもう既に始まっている。私たちは神の国を生きる神の民です。キリストによってこの福音が成就しました。私たちはキリストを仰ぎ、このキリストの福音を喜び、共に神を礼拝します。主イエス・キリストの恵みと祝福がここにあるからです。
日曜日に入会式をいたしました。ひとりの姉妹がさがみ野教会のメンバーとして加わってくださった。こういうとき、私たちは、教会ということを考えるきっかけを与えられます。教会はキリストの福音を頂き、その輝かしい御業を共に喜び、キリストを礼拝する群れです。神様は私たちを独りぼっちの信仰者にはなさらず、教会の枝にしてくださいました。私たちは声を合わせてキリストに賛美を献げ、共にキリストの言葉に耳を傾けます。主イエス・キリストの恵みと祝福を喜び、約束に違わぬ神の祝福を共に喜んで、この時を一つの教会として歩んでいくのです。

2023年10月4日水曜日

2023年10月4日の聖句

主であるあなたの神は、あなたを良い地へと導かれる。小川や水源があり、水が地深く流れる地です。(申命記8:7)
神はご自身を証ししないでおられたのではなく、多くの良いことをなさっています。あなたがたに天からの雨を、実りの季節に与えられ、あなたがたを養い、あなたがたの心を喜びで満たしてくださいます。(使徒14:17)

今日の新約聖書の御言葉は、パウロがリストラという小アジアの町へ伝道しに行ったときの言葉です。この町でパウロは足の不自由な人を癒やした。それで町の人が驚いて、パウロを神々の化身だと騒ぎ立てました。「ゼウス」とか「ヘルメス」と一行のことを呼び始めた。パウロたちは衣を引き裂いて、叫んで、それをやめさせました。私たちはただの人間であり、福音を伝えに来た者に過ぎない。天と地と海にあるすべてのものをお造りになったまことの神を信じてほしい。そして、言ったのです。「神はご自身を証ししないでおられたのではなく、多くの良いことをなさっています。あなたがたに天からの雨を、実りの季節に与えられ、あなたがたを養い、あなたがたの心を喜びで満たしてくださいます。」
神様は私たちに命を与え、私たちが生きるために必要な雨も晴れも、季節の実りも、すべてを与えてくださる方。神様のくださる一つひとつの良い物で私たちは命を長らえている。そうやって、神様はずっとご自分の慈しみを示してきてくださった。そのことに気づいてください、と訴えた。
確かにパウロの言うとおりです。神様はこの地に生きる私たちすべての人々のために、良い物を与えてくださいました。この地に満ちる良い物は、神様がご自身を証しなさった恵みの足跡です。私たちはこの世界に満ちる神の愛の中に生かされている。「主であるあなたの神は、あなたを良い地へと導かれる。小川や水源があり、水が地深く流れる地です。」
人間は、すぐに誰かや何かを神に祭りあげようとします。自分の必要を満たしてくれたり、すごい力を持っていたり、自分の欲を満たしてくれたり、さみしさを埋めてくれたり。いろいろな動機はあります。しかし、そのような神ならぬ者ではなく、あなたや私を造り、今日もその命を保ってくださっている真の神様の慈しみを仰ぎ、このお方を礼拝しましょう。主の慈しみが、今日もあなたを覆っています。

2023年10月3日火曜日

2023年10月3日の聖句

神よ、私を守ってください。私はあなたを信頼します。(詩編16:1)
私たちを誘惑に遭わせないでください。(マタイ6:13)

今日の新約の御言葉は、主の祈りの一節です。主イエスがご自分の弟子である私たちに教えてくださった祈り。主は「私たちを誘惑に遭わせないでください」と祈るように教えてくださいました。主イエスは私たちがどんなに誘惑に弱いのか、罪に誘われやすいのかをよく知っていてくださるのです。その上で、私たちに襲いかかってくる誘惑に自分の力で勝てとはおっしゃらない。「誘惑に遭わせないでください」と、祈るようにお命じになりました。誘惑の問題は、私たちにとっては祈りの課題なのです。
もしも、もっと精神力を鍛えろとか、根性を見せろとか、性根が悪いのがいけないとか、そういう話だったら、辛かったと思います。しかし主イエスはそうはおっしゃらなかった。これは祈りの課題、祈るべき事柄。私たちは誘惑の中で神様に助けを求めて良い。いやそれどころか、そういう私たちの祈りを神様は待っていてくださるのです。ありがたいことです。
「神よ、私を守ってください。私はあなたを信頼します。」神様は必ず私たちを守ってくださるお方です。そのことを信頼して、私たちは祈る。誘惑の中、私たちが罪に陥らないように。自分の弱さが情けなくて、自分が嫌になってしまうとき。神を信じるというよりも、別の道の方が現実的に見えるとき。それでも私たちは祈る。「神よ、私を守ってください。」神を信じ、神に従うことこそが私たちの最高の幸せだからです。神を信じ、神に心や生き方を向けるとき、私たちは本当に自由になるからです。「私たちを誘惑に遭わせないでください。」主イエス・キリストが教えてくださったとおり、私たちは今日も祈ります。

2023年10月2日月曜日

2023年10月2日の聖句

主がその民の傷を包み、その傷を癒やされる日。
月の光は太陽の光のようになり、
太陽の光は七倍となり、七日分の光のようになる。(イザヤ30:26)
キリストの傷により、あなた方は癒やされたのです。(1ペトロ2:24)

すごい言葉です。「月の光は太陽の光のようになり、太陽の光は七倍となり、七日分の光のようになる。」考えられないような明るさ。この上ないほどの光に包まれる日、それが救いの日だと言います。それは「主がその民の傷を包み、その傷を癒やされる日」です。
聖書はしばしば救いを光のイメージで描きます。神がはじめに混沌とした地や暗闇に包まれた深淵の面におっしゃったのは「光あれ」です。こうして光が造られた。地を覆う闇、密雲に包まれる民に輝く主の光、主の栄光の光を受けて、預言者は神の民に向かって「起きよ、光を放て」と語りかけました。クリスマスの夜、闇を主の栄光が照らしました。救いの光がこの世に宿ったのです。そして救いの完成を描くヨハネの黙示録にも「この都には、それを照らす太陽も月も、必要ではない。神の栄光が都を照らし、小羊が都の明かりだからである」という言葉があります。神様ご自身が私たちの光になって、照らしてくださる。
月は太陽の光のようになる。太陽の光は七倍になる。神様の栄光の光がそうやって私たちを照らすのです。私たちはもはや闇の中にいない。主の光の中に生かされている。
この光は、優しい光です。太陽の七倍というとまぶしくて仕方ないようにも思います。でも、そういうことではないでしょう。サングラスは必要ない。暗闇の中でうずくまっている私たちに命を与え、私たちを混沌から救う光。救いの光。神様の優しさと美しさが私たちを闇から救うのです。命の光です。「キリストの傷により、あなた方は癒やされたのです」と言うとおり、私たちはキリストの光の中で癒やされ、救われ、神の愛を知った。
ここに救いがある。ここに光がある。聖書は、私たちに神の救いの光を見せているのです。今日も、私たちは神の光に照らされています。

2023年10月1日日曜日

2023年10月1日の聖句

10月の聖句:
御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの人であってはなりません。(ヤコブ1:22)

今週の聖句:
すべての目はあなたを待ち望んでいます。あなたは、時にかなって彼らに食物を与えられます。(詩編145:15)

今日の聖句:
私こそ主、この地に慈しみと公正と正義を行う者。(エレミヤ9:23)
義の実を結ばせる種は、平和をつくる人々のために平和のうちに蒔かれるのです。(ヤコブ3:18)

「私こそ主」と、今日の旧約聖書で神様はおっしゃいます。
旧約聖書で「主(しゅ)」と翻訳される言葉は、主なところでは二つあります。一つは、「主(あるじ)」という意味の一般名詞。もう一つは、神様のお名前を表す固有名詞。古来、神様のお名前を表す言葉が出て来るとそれを発音することを避け「私の主」と読み替えていました。そういう伝統を引き継いで、日本語の聖書でも神様のお名前は「主(しゅ)」と翻訳されています。
「私こそ主」という今日の御言葉は、神様のお名前を意味する「主」です。神様が御自らのお名前を名乗っておられる。私は私として、この地に慈しみと公正と正義を行うのだと宣言しておられます。ご自分の御名にかけて、主なる神様は慈しみ、公正、正義をこの地にもたらしてくださる。
現代はいろいろなものが相対的になって、混乱が深まっている時代だと思います。何が正しいのか、何が悪なのか、はっきりとした線引きがとても難しい。確かに物事にはいろいろな面があるので、一方から見た正義が他方からは悪だということは当然なのかも知れません。しかし、私たちが忘れがちになってしまうのは、神様からご覧になってどうなのか、ということではないでしょうか。神様の慈しみに適っているのか、神様の公正適っているのか、神様の正義に適っているのか。
私たちの慈しみや公正や正義は独り善がりになりがちです。私たちの思う平和は人を犠牲にした上での平和でしかないかもしれない。だからこそ、「私こそ主」とおっしゃるお方、他ならぬイエス・キリストの父である方を信頼し、この方がキリストを通して示してくださった平和の道に従っていきたいと願います。

2025年8月30日の聖句

主よ、あなたは私を回復させ、生かし続けてくださいました。(イザヤ38:16) 時に、プブリウスの父親が熱病と下痢で床に就いていたので、パウロはその人のところに行って祈り、手を置いて癒やした。(使徒28:8) 熱病や下痢を初めとして、あらゆる病に苦しむ仲間のために私たちは祈ります。...