2015年10月18日日曜日

創世記45章1から28節「神の摂理は人間の混乱の中で」

スイスに「人間の混乱と神の摂理によって、スイスの歴史は進んでいく」という古い言葉があるそうです。摂理とは、今も生きて働く神のご意志とその御業を指す言葉です。スイスに限らず、歴史を顧みると、一体どこに神のご意志や御業が表れているのか、皆目見当もつかない思いになります。今でも、シリアであのようなことが起こる社会を見るだに、その思いは強くなります。聖書には「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認すること」という言葉があります。神は今も生きて働いておられ、私たちの命を救うことを望んでくださり、善いことを望んでいてくださるのであって、災いを望んではおられないと私たちは信じています。しかし、そういう神のご意志が見えなくなる現実が目の前に広がっているのです。今日はヨセフ物語の三回目、これで終わりになりますが、ここには三者登場します。かつてヨセフを亡き者としようとし、父をも欺いた兄たち、そして父親、さらにヨセフです。兄たちはかつての罪責に今でも苦しんでいます。父は息子たちの欺きが原因で悲嘆に暮れ、まるで穴蔵にでも閉じ込められているようです。ヨセフはエジプトで総理大臣になっていましたが、父ヤコブと息子らは今もイスラエルにいて飢饉に見舞われ、食べるものに事欠くようになりました。やがてエジプトへ食糧を求めて行き、目の前にいるのがヨセフとは気づかずに再会することになります。ヨセフは末の息子ベニヤミンだけを自分の手元に残そうと画策しますが、最後には、かつて自分をひどい目に遭わせようとした兄ユダの父や弟を思う言葉に心を打たれて、自分がヨセフであると告白します。この時の人間模様を見ると、兄らはかつての過ちに心を縛られ、未来のない過去に縛られています。父は愛する者を喪い、悲しんで生きていました。やはり、過去の世界を生きています。それは私たちの世界の姿そのものです。シリアの問題も、考えてみれば英仏のような大国の身勝手に翻弄され、或いは、アサド政権が誕生したのはイスラエル共和国など周辺国との争いが生んだものです。過ちと悲しみは望みある未来を奪います。一体この世界に神の摂理を見るとは何を意味しているのか。ヨセフは兄たちに言います。「私はあなたたちがエジプトに売った弟のヨセフです。しかし、今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたたちより先にお遣わしになったのです。」ヨセフは「兄たちが」ではなく「神が」と信じていました。そう信じる者は将来を見ます。信仰の目を開くことでしか見えない将来です。望みと慰めがここにあります。

2024年12月22日の聖句

今週の聖句: 主にあっていつも喜びなさい。主は近いのです。(フィリピ4:4,5b) 今日の聖句: あなたこそわが希望なる主。わが神よ、私は若い時からあなたに信頼しました。(詩編71:5) 私たちは、この希望のうちに救われているのです。現に見ている希望は希望ではありません。現に見て...