「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」主イエスの御言葉です。何と慰めに満ちた言葉でしょう!今日、主イエスさまを礼拝する私たちに語りかけてくださっているのです▼創世記第13章に登場するアブラムは、ちょうど私たちが日曜日の礼拝から次の日曜日の礼拝へと旅するのと同じように、礼拝から礼拝へと旅をします。ベテルとアイの間、彼が最初に祭壇を築いて主の御名を呼んだ場所(4節)から、ヘブロンにあるマムレの樫の木のところへ来て住み、そこに主のために祭壇を築きました(18節)。そして、私たちの誰もが礼拝から礼拝の間、即ち週日に経験することを、アブラムは私たちに先立って経験します。甥のロトとの利害関係の対立に苦しむのです。その時彼らはたくさんの財産を持っていて、それぞれの牧童たちの間に争いが起こり、一緒に生きることができなくなってしまいました。彼らを取り囲む世間(7節)には、自分で獲得した物の領分をもっと広くしようとする者がたくさんいました。ロトも同じように考えます。アブラムはそうは考えません。だから、ロトに提案します。「我々は互い親類なのだから、争うのは止めよう。ここで別れよう。我々のどちらが右に行くか左に行くかはお前が決めてくれ」、と。ロトはそう言われて、肥沃な地、しかも大都市ソドムとゴモラがある低地を選んで、そちらへ行きました。ロトの選択は合理的で冷静です。自分や家族や牧童の生活がかかっているのです。得になる方を選ぶのは当然です。せっかくここまで得てきた財産を殖やすために、ロトは最高の場所を選びました。まるでそこは「主の園のよう」だとロトは思いましたし、世間も同じ価値観でした。しかし、本当にそうなのでしょうか。肥沃で豊かな場所をロトは主の園のように見ました。主イエスはおっしゃいました。「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」まことの主の園、神の国は小さな群れに与えられると主は言われます。もっと自分の支配領域を獲得しなければならないとは言われないのです▼アブラムはロトとは違う判断をしました。アブラムは徹底して、自分が持っているものはただ神に与えられたものだという信仰を貫きました。財産だけではなく、ロトとの人間関係も同様です。だから、親類と呼びつつ今は別れる自由をも持っていました。やがてロトが窮地に陥ったときには親類として彼を助けに行きます。財産も人間関係も、神が下さったものだからです。アブラムには「さあ、目を上げて・・・(14-17節)」という神の約束しかありません。それだけで良い。神の国を下さる主の約束は、必ず実現するからです。
2024年7月27日の聖句
貧しい人が(主に)永遠に忘れられ、苦しむ人の希望が滅びることは決してない。(詩編9:19) イエスは言われた。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。」(ルカ6:20) 「貧しい人々は、幸いである」と主イエス・キリストは宣言なさいます。キリスト以外の一体誰にそ...
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(主の言葉)私はあなたがたを顧み、多くの子どもを与え、数を増し加えて、あなたがたと契約を立てる。(レビ26:9) キリストによって、体全体は成長させられ、愛の内に造り上げられてゆくのです。(エフェソ4:16) キリストは、私たち教会を今地上にあるご自分の体としてくださいました。私...
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わたしは、高く聖なる所に住み、 砕かれた人、へりくだった人とともに住む。 へりくだった人たちの霊を生かし、 砕かれた人たちの心を生かすためである。(イザヤ57:15) 弟子たちがイエスに、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いています」と言って、無理に引...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...