2016年1月3日日曜日

使徒言行録第4章20節 喜びを証しする共同体

2016年は私たちの教会が宣教を開始して40年目を迎える記念すべき年です。この年、私たちは「喜びを証しする共同体」という主題を掲げて一年を過ごします。「証し」というのは、見たことや聞いたことを証言することです。私たちが目撃したイエス・キリストの出来事、私たちが耳にしたキリストの福音を証言しよう、というのです。「福音」というのは「良い知らせ」とか「喜ばしい知らせ」という意味の言葉です。神が私たちに与えてくださった喜びを証言する一年をすごしましょう!▼主題となる聖書の言葉も掲げられています。使徒言行録第420節。「わたしたちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」これはペトロとヨハネの言葉。彼らはある足の不自由な人をいやして、民衆に「あなたがたが見て知っているこの人を、イエスの名が強くしました」と言いました。自分たちがこの人をいやしたのは、十字架にかけられて死に、そして神に復活させられたイエスの御名によるのだ、と証言したのです。それが物議を醸し、衝突を生んだ。ペトロとヨハネは議会に連行されて取り調べを受けた。先ほどの言葉はそのときのものです。もともと、ペトロとヨハネが足の不自由な人をいやしたことが始まりでした。二人は、主イエスがなさったように一人の足萎えの人をいやした。そして歴史の教会は二人の業を引き継ぎました。病院や介護や児童福祉はそういう働きの一つと言えるでしょう。或いは大きな事ではなく、私たちしている病気の家族の看病や世話、年老いた家族の介護や育児も、そうです。そういうものを、キリスト者はイエスの御名のゆえにします。キリストが復活したから、希望を持ってできるのです。そうでなければ、この時代に将来へ向けてどうして希望を抱くことができるのでしょうか。聖書は私たちに最高のグッドニュースを伝えています▼イザヤ書第527節に、このような言葉があります。「いかに美しいことか、山々を行き巡り、良い知らせを伝える者の足は。」王の即位を高らかに伝える伝令の足の美しいことよ!と言います。この御言葉を読むと、私は「マラソン」の起源となった古代ギリシアのマラトンの会戦の話を思い起こします。マラトンでギリシア軍がペルシア軍を討ったとの良い知らせを伝えに、フィリッピデスが約40キロの道のりを走り、「我勝てり」とギリシアの首都アテナイに伝えたと言います。その距離を記念して、マラソンという競技が誕生したのだとか。「良い知らせ」は人の心を奮い立たせ、望みをもって立ち上がらせます。今、世界は傷つき、自信を失い、意地悪で刹那的になっています。目につく異分子を寄って集って裁きまくります。どうしたら世界の痛みは癒やされるのでしょう。政治システムをいじるだけでは、どうにもなりません。この世界を傷つける罪を解決することが必要です。それを解決してくれる良い知らせが、この世界に届けられなくてはならないのです▼良い知らせを伝える伝令が山々を走り回るとき、その先頭を主なる神御自らが進んでくださいます。そのしんがりをも、主なる神が御自ら務めてくださいます。だから、私たちは、安心して伝令、証人としての自分の使命を果たすことができます。私たちの罪を引き受けてくださった主の僕イエスが私たちを神の子にしてくださいました、と宣べ伝えるのです。

2024年4月19日の聖句

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6:22) (イエスの言葉)「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 風水害や地震などの自然災害の多い場所に住んでいると、今日の主イエスの言葉はよく分かります。「岩の...