衝撃的な事件です。2000年前、生まれたばかりの教会では爆発的に信者が増えていました。一日に男だけで5000人が信じたといいます。教会の中心であった使徒たちは人々から好感を持たれていました。語る言葉や生き方が受け入れられていたのでしょう。彼らは全てを献げて生きていました。そういう使徒たちの姿の影響もあり、当時の教会では皆が精一杯献げて、それは貧しい人のために使われ、一人も貧しい人がいなくなったのです。そこにアナニアとサフィラという夫婦がいました。彼らも自分たちの土地を売って、その一部を持ってきて献げました。すごいことです。なかなか出来ません。それなのに、ペトロに「なぜ、あなたはサタンに心を奪われて、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか」と言われて死んでしまいました。これは天罰でしょうか?この夫婦は死ななければならないほど悪いことをしたのでしょうか?衝撃的で、不可解な事件です▼新約聖書の中に、こんな言葉があります。「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。」そうは言っても、生きています。かつて死んでいたのなら、今は生きていないはずです。しかし、本当は死んでいた。どういうことか?アナニアとサフィラが死んだときのことを、聖書は「息が絶えた」と表現しています。これは、「魂が外に出た」という字で表されています。魂が外に出て、なくなっちゃった。魂というのは、本当の私と言っても良いでしょう。アナニアは土地を売ったお金を献金しました。なかなかできないことです。しかし、その一部をごまかして使徒の所へ持っていったとき、アナニアはどんな気持ちだったのでしょう。家で待っていたサフィラは?使徒を上手くだませるかな?バレずにみんなから「すごい!」と思われるかな?そんなとき、アナニアはどんな顔をしていたのでしょう?サフィラはどんな表情だったのでしょう?その顔はサタンの顔だったのではないでしょうか。だって、自分の土地を売って、例えその一部でも貧しい人のために献げるなんて、なかなか出来ないことです。それなのに、上手くごまかせたか?みんなに認められるか?そんなことに心を奪われるなんて、それは本当のアナニアでしょうか?それが本当のサフィラでしょうか?違います。魂を、本当の自分を、失ってしまったのです。嘘が自分を殺してしまいました。本当は、高潔な生き方、他者のために献げること、神を信じること、永遠や聖なる方を信じ、憧れていたのです。そんな自分を殺してしまったのです▼これは、嘘をついてはいけません、という話ではありません。確かに嘘は自分の魂を損ないます。しかし、もっと大切なことがあります。アナニアとサフィラに対したのは、ペトロでした。ペトロにもかつて同じような経験がありました。主イエスが十字架にかけられる前にペトロに「今日鶏が鳴く前にお前は私を知らないという」と言われ、絶対そんなことはありませんと豪語しました。しかし、実際には、その晩の内にペトロは三度重ねてイエスを知らないと言い、そう言った途端に鶏が鳴きました。ペトロは泣きました。ペトロはアナニアを見つめ、サフィラを見つめながら、自分と同じように、悔い改めてほしかったのではないでしょうか。帰ってきてほしかったのです。「ごめんなさい、私は本当の私を損ねて、サタンに心を奪われていました」と。神は悔い改める者を必ず赦してくださいます。必ず、です。
2025年4月3日の聖句
わたしの民は二つの悪を行った。いのちの水の泉であるわたしを捨て、多くの水溜を自分たちのために掘ったのだ。水を溜めることのできない、壊れた水溜を。(エレミヤ2:13) (イエスの言葉)私が与える水を飲む者は決して渇かない。私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...
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これほど深い絶望の言葉があるのか。神に見捨てられた。しかも「わたしの神」と呼ぶ方に。昨日までは親しい思いを抱いていたのか。今なお愛を込めて呼ぼうとしているのか。神は応えてくださらない。「主に頼んで救ってもらうがよい」などと誰に言われずとも自分が一番願っている。しかし、助けは来な...