2016年2月28日日曜日

使徒言行録第4章32節から第5章11節「嘘は自分を殺す」

衝撃的な事件です。2000年前、生まれたばかりの教会では爆発的に信者が増えていました。一日に男だけで5000人が信じたといいます。教会の中心であった使徒たちは人々から好感を持たれていました。語る言葉や生き方が受け入れられていたのでしょう。彼らは全てを献げて生きていました。そういう使徒たちの姿の影響もあり、当時の教会では皆が精一杯献げて、それは貧しい人のために使われ、一人も貧しい人がいなくなったのです。そこにアナニアとサフィラという夫婦がいました。彼らも自分たちの土地を売って、その一部を持ってきて献げました。すごいことです。なかなか出来ません。それなのに、ペトロに「なぜ、あなたはサタンに心を奪われて、聖霊を欺いて、土地の代金をごまかしたのか」と言われて死んでしまいました。これは天罰でしょうか?この夫婦は死ななければならないほど悪いことをしたのでしょうか?衝撃的で、不可解な事件です▼新約聖書の中に、こんな言葉があります。「あなたがたは、以前は自分の過ちと罪のために死んでいたのです。」そうは言っても、生きています。かつて死んでいたのなら、今は生きていないはずです。しかし、本当は死んでいた。どういうことか?アナニアとサフィラが死んだときのことを、聖書は「息が絶えた」と表現しています。これは、「魂が外に出た」という字で表されています。魂が外に出て、なくなっちゃった。魂というのは、本当の私と言っても良いでしょう。アナニアは土地を売ったお金を献金しました。なかなかできないことです。しかし、その一部をごまかして使徒の所へ持っていったとき、アナニアはどんな気持ちだったのでしょう。家で待っていたサフィラは?使徒を上手くだませるかな?バレずにみんなから「すごい!」と思われるかな?そんなとき、アナニアはどんな顔をしていたのでしょう?サフィラはどんな表情だったのでしょう?その顔はサタンの顔だったのではないでしょうか。だって、自分の土地を売って、例えその一部でも貧しい人のために献げるなんて、なかなか出来ないことです。それなのに、上手くごまかせたか?みんなに認められるか?そんなことに心を奪われるなんて、それは本当のアナニアでしょうか?それが本当のサフィラでしょうか?違います。魂を、本当の自分を、失ってしまったのです。嘘が自分を殺してしまいました。本当は、高潔な生き方、他者のために献げること、神を信じること、永遠や聖なる方を信じ、憧れていたのです。そんな自分を殺してしまったのです▼これは、嘘をついてはいけません、という話ではありません。確かに嘘は自分の魂を損ないます。しかし、もっと大切なことがあります。アナニアとサフィラに対したのは、ペトロでした。ペトロにもかつて同じような経験がありました。主イエスが十字架にかけられる前にペトロに「今日鶏が鳴く前にお前は私を知らないという」と言われ、絶対そんなことはありませんと豪語しました。しかし、実際には、その晩の内にペトロは三度重ねてイエスを知らないと言い、そう言った途端に鶏が鳴きました。ペトロは泣きました。ペトロはアナニアを見つめ、サフィラを見つめながら、自分と同じように、悔い改めてほしかったのではないでしょうか。帰ってきてほしかったのです。「ごめんなさい、私は本当の私を損ねて、サタンに心を奪われていました」と。神は悔い改める者を必ず赦してくださいます。必ず、です。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...