何度も繰り返して「主よ」と呼ばわる。繰り返して神を求める。自分に不正があり、仲間に不正を被らせ、敵をいたずらに見逃したと中傷されていたのだ。濡れ衣だと知っているのはただ神だけ。だから主を呼び求める。主が正しいことをしてくださるよう祈る。主が不正な者に報いてくださいと祈るのである。私たちはこの祈りの激しさに学ぶべきである。同じように祈ればいい。そういう心を打ち明けて初めて正しい主への感謝が生まれる。
2026年1月13日の聖句
主の仰せ。私を重んじる者を私は重んじ、私を侮る者を私は軽んじる。(サムエル上2:30) イエスは答えて言われた。「私を愛する人は、私の言葉を守る。私の父はその人を愛され、父と私とはその人のところに行き、一緒に住む。」(ヨハネ14:23) 今日の旧約聖書の御言葉はサムエル記ですが、...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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主よ、私の祈りをお聞きください。私の叫びに耳を傾けてください。私の涙に黙していないでください。(詩編39:13) (一人の罪深い女が)イエスの背後に立ち、イエスの足元で泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛で拭い、その足に接吻して香油を塗った。イエスは女に言われた。「あな...