2016年3月27日日曜日

ヨハネによる福音書20:19〜23「あなたがたに平和があるように」

この一週間をどのような思いで過ごしてこられたでしょうか。私は、やはりベルギーのブリュッセルで起きたテロ事件のことを知り、心を痛める一週間でした。あと何時間かして朝を迎えたとき、彼の地の教会はどのような思いでイースターの礼拝を献げるのでしょう。今週は受難週で、毎日祈祷会をしました。必ず主の祈りをしました。「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦し給え。」主よ、この祈りを今日私たちに新しくしてください!▼ニュースなどを見聞きすると、テロを起こした「イスラム国(ISIL)」と名乗る集団のねらいは分断だと言われます。こういう事件を通して欧米にイスラムへの疑いや反感、不信が増して差別が起こる。そうすると欧米のイスラム教徒の反発感情はますます高まり、憎しみが生まれ、新たなテロの温床になる・・・。本当に恐ろしいことです。しかし、考えてみると、ISIL側から見ると、既に自分たちは分断されてきたという感覚があるかもしれません。何もない所に欧州人が来て勝手に支配し、油で商売し、国境線を引き、武器を売りつけ、戦争をして自分たちを分断してきた、と見えているかもしれません。今、世界は和解の福音を必要としています。今必要なのは赦しの言葉だし、愛の言葉です。昨日、キング牧師の「あなたの敵を愛せよ」という説教を読みました。キング牧師は言います。ある人はあなたの歩き方や肌の色や髪の毛の長さやでももってあなたを嫌う。あなたがしてきたことのためにあなたを嫌う。共産主義は民主主義を嫌う。しかし、民主主義は大衆の生活必需品を奪って上流階級に贅沢費を与えてはいないか。まず自分たちの姿に気づこうとキング牧師は言います。そして、主は「あなたの敵を愛せ」と言われたのであって、「あなたの敵を好きになれ」とは言われなかった。愛するとは好きになることよりも偉大なこと。相手を理解し、贖罪していく善意のこと。憎しみに憎しみで返すのはもう止めよう。愛には相手を変える力すらある。相手の憎しみを説かすことができる。憎しみにはそれができない。イエスが示してくださったこの唯一の道に立ち返ろう。そういう説教でした▼主イエスは言われます。「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」赦すとは、キング牧師が言うとおり、自由にすることです。興味深いことにこの「赦す」という動詞は熱が「下がる」という意味もあります。そう、罪は熱病のようです。熱に浮かされるように、私たちはいとも簡単に罪の奴隷になってしまう。金曜日の受難週祈祷会で、伊能伝道師がキリストが十字架にかかった場面を読んでくださいました。キリストは十字架にかけられた。私がかけたのです。「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦し給え。」そう祈るように教えてくださったのは、十字架にかけられたお方です。人の罪を赦すのは、言葉で言うほど簡単なことではありません。誰でも知っていることです。痛みを伴います。そうやって痛むときにしか、私たちには分からないのです。キリストの十字架の御苦しみは。神が私をも赦してくださった。神は私の憎しみに憎しみで応えるのではなく、愛で応えてくださった。それは、この和解の福音、罪の赦しの福音を私たちがこの世に告げるためです。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」

2024年4月19日の聖句

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした。(創世記6:22) (イエスの言葉)「私のこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。」(マタイ7:24) 風水害や地震などの自然災害の多い場所に住んでいると、今日の主イエスの言葉はよく分かります。「岩の...