この一週間をどのような思いで過ごしてこられたでしょうか。私は、やはりベルギーのブリュッセルで起きたテロ事件のことを知り、心を痛める一週間でした。あと何時間かして朝を迎えたとき、彼の地の教会はどのような思いでイースターの礼拝を献げるのでしょう。今週は受難週で、毎日祈祷会をしました。必ず主の祈りをしました。「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦し給え。」主よ、この祈りを今日私たちに新しくしてください!▼ニュースなどを見聞きすると、テロを起こした「イスラム国(ISIL)」と名乗る集団のねらいは分断だと言われます。こういう事件を通して欧米にイスラムへの疑いや反感、不信が増して差別が起こる。そうすると欧米のイスラム教徒の反発感情はますます高まり、憎しみが生まれ、新たなテロの温床になる・・・。本当に恐ろしいことです。しかし、考えてみると、ISIL側から見ると、既に自分たちは分断されてきたという感覚があるかもしれません。何もない所に欧州人が来て勝手に支配し、油で商売し、国境線を引き、武器を売りつけ、戦争をして自分たちを分断してきた、と見えているかもしれません。今、世界は和解の福音を必要としています。今必要なのは赦しの言葉だし、愛の言葉です。昨日、キング牧師の「あなたの敵を愛せよ」という説教を読みました。キング牧師は言います。ある人はあなたの歩き方や肌の色や髪の毛の長さやでももってあなたを嫌う。あなたがしてきたことのためにあなたを嫌う。共産主義は民主主義を嫌う。しかし、民主主義は大衆の生活必需品を奪って上流階級に贅沢費を与えてはいないか。まず自分たちの姿に気づこうとキング牧師は言います。そして、主は「あなたの敵を愛せ」と言われたのであって、「あなたの敵を好きになれ」とは言われなかった。愛するとは好きになることよりも偉大なこと。相手を理解し、贖罪していく善意のこと。憎しみに憎しみで返すのはもう止めよう。愛には相手を変える力すらある。相手の憎しみを説かすことができる。憎しみにはそれができない。イエスが示してくださったこの唯一の道に立ち返ろう。そういう説教でした▼主イエスは言われます。「だれの罪でも、あなたがたが赦せば、その罪は赦される。だれの罪でも、あなたがたが赦さなければ、赦されないまま残る。」赦すとは、キング牧師が言うとおり、自由にすることです。興味深いことにこの「赦す」という動詞は熱が「下がる」という意味もあります。そう、罪は熱病のようです。熱に浮かされるように、私たちはいとも簡単に罪の奴隷になってしまう。金曜日の受難週祈祷会で、伊能伝道師がキリストが十字架にかかった場面を読んでくださいました。キリストは十字架にかけられた。私がかけたのです。「我らに罪を犯す者を我らが赦すごとく、我らの罪をも赦し給え。」そう祈るように教えてくださったのは、十字架にかけられたお方です。人の罪を赦すのは、言葉で言うほど簡単なことではありません。誰でも知っていることです。痛みを伴います。そうやって痛むときにしか、私たちには分からないのです。キリストの十字架の御苦しみは。神が私をも赦してくださった。神は私の憎しみに憎しみで応えるのではなく、愛で応えてくださった。それは、この和解の福音、罪の赦しの福音を私たちがこの世に告げるためです。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」
2025年9月4日の聖句
あなたを助ける父の神により、あなたを恵まれる全能者による。(創世記49:25) 福音は、信じる者すべてに救いをもたらす神の力です。(ローマ1:16) 今日の旧約の御言葉は、25節全体を含めて見ると聖書協会共同訳ではこのように翻訳されています。「お前を助ける父の神から、お前を祝福す...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...