2節の「青草の原」は原文ではむしろただの草地を指す。青々とした草原ではなく、荒れ地に転々と生えるわずかな茂みだ。そう考えると、これは牧歌的な歌ではない。「死の陰の谷」とも言うとおり、非常に困難な状況を彷彿とさせる。それでもなお「私には何も欠けることがない」のは、主が私の羊飼いでいてくださるから。この方が私のために食卓を整え、ご自分の家に住まわせてくださるから。死の陰の谷や苦しめる者の前でも、もう怖くない。
2025年4月27日の聖句
今週の聖句: 神はイエス・キリストの復活を通して、私たちに生ける希望を与えてくださいました。(1ペトロ1:3) 今日の聖句: 私は主を愛している。主は私の声、私の願いを聞いてくださる。(詩編116:1) その借りのある者が、主人の前にひざまずき懇願した。「堪忍してください。すべて...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...