「主よ、いつまで見ておられるのですか。彼らの諮る破滅から、私の魂を取り返してください。(17)」私の苦難を神はただ眺めているだけなのか?多くの人の問いではないだろうか。苦しめる者は私を嘲笑って言う、「私は見た。(21)」私を支配したつもりなのだろうか。詩編作者は再び言う。「主よ、あなたはご覧になっています。(22)」「私に代わって争ってください。」敵の目と神の目は違うと改めて気づく。私は必ず救われる。主の目を信頼しよう。
2024年4月24日の聖句
恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...
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今日の通読箇所:ルカによる福音書7:24~50、ヨシュア記1 8、詩編124~125 ヨシュア記18; 「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのを いつまでためらっているのか(3節)」。すでにイスラエルの五つ の部族には所有地が割り当てられましたが、 まだ...
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詩編29~30 主は洪水の上に座し 主は王として、とこしえに座した。 主がその民に力を与えてくださるように。 主がその民を祝福してくださるように 平安のうちに。(30:10~11) 川の水はかの平清盛にさえもどうにもならないと言わしめたと聞き及んだことがあります。私たち人間の...