2016年11月10日木曜日

詩編第42編「渇望」

神を渇望する渇いた魂。神の御前に出たい、いつ御顔を仰げるのか、昼も夜も涙を流している。絶え間なく言われているのだ、「お前の神はどこにいる」と。イメージ豊かな詩編だ。しかし、そのイメージが絶望の深さを色濃く映し出す。私も神を求める。昼も夜も。しかし、呻きつつここまで激しく求めているのだろうか。この詩編の渇望を最も深くご存知だったのは主イエスである。十字架の上で主は言われた。「渇く。」主の渇きが私をいやす。

2025年1月16日の聖句

人間の高ぶる目は低くされ、人の高慢は卑しめられる。 その日には、主のみが高くされる。(イザヤ2:11) 神は知恵ある者を恥じ入らせるために、世の愚かな者を選び、強い者を恥じ入らせるために、世の弱い者を選ばれました。また、神は世の取るに足りない者や軽んじられている者を選ばれました。...