激しい報復の詩編である。バビロンとの戦争に敗れて捕囚された時代を背景としているのだろう。敵への復讐を神に願う。「御怒りを注いでください、あなたを知ろうとしない異国の民に。」戸惑う。しかしフト思う。私はこのような言葉はキリスト者らしくないと封じ込めるが、心の中には復讐心が渦巻くことがある。むしろ、この詩編のように祈るべきではないか、と。激情をこそ神に申し上げるではないかと。それが委ねるということなのだ。
2025年9月18日の聖句
(主の言葉)なぜ、あなたがたは、糧にもならないもののために金を支払い、腹を満たさないもののために労するのか。私によく聞き従い、良いものを食べよ。(イザヤ55:2) (イエスの言葉)この人(やもめ)は、乏しい中から持っている物をすべて、生活費を全部入れた。(マルコ12:44) 今日...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...