サマリヤの女性が井戸に水を汲みに来ました。誰もいない正午の時間です。重い足取りです。あえて誰とも会わない時間を狙ってサマリヤの女性は来たのですが、一人の男性との出会いをしました。その方は「水をのませてください」と言います。ユダヤの教師らしき人物が声をかけてくるなんて…ユダヤ人から蔑まれているはずの自分に声をかけてくるこの人は、いったい何を言おうとしているのだろう。女性は戸惑いました。
主イエスとの出会いというのは、私たちも戸惑いから始まるということがあるかもしれません。なんでこんな言葉を私にかけるのだろう。ときに反発したくなることもある。けれども主イエスは私たちが願うよりも先に、私たちと共に歩みを始められます。
サマリヤの女性はこの男性と対話を重ねます。話を聞いていくとどうやらこの男性は「生きた水をあなたに与えることができる」と言っているらしい。このサマリヤの女性は、本当は渇いておりました。喉の渇きというより、人との親しさという面で渇いていた。主イエスは言われます。「あなたの夫をここに呼んできなさい。」この質問は、サマリヤの女性に突き刺さりました。この女性は、以前に5人の夫がいた。今も連れ添いがいるが夫ではない。おそらく周りの人々からは後ろ指をさされるような存在だったのでしょう。「あの女は不道徳な女だ」だから、この女性は誰にも会わないような時間帯に水を汲みに来た。主イエスは一見すると関係の無いような、しかし、この女性の抱えている問題を見つめられた。「あなたの夫をここに呼んできなさい」。女性は「わたしには夫はいません」と答えます。主イエスはその応答を「ありのままを答えた」と言います。「真理」という意味の言葉です。「あなたは真理・真実を言った」。
ポール・トゥルニエという信仰をもった精神学者が書いた『強い人と弱い人』という本があります。そこには、このように書いてあります。
心理学的にみると、人は強い反応をする人、弱い反応をする人と分けることができるかもしれない。強い人は防衛的、攻撃的、プレッシャーに強い。弱い人は、抑うつ的で自信が無い。しばしば、精神医学では強い反応を持てるように目指して、ケアが行われる。しかし、これは本質的な解決にならない。本当の解決は信仰による解決である。罪の告白をした者が、自分が神と共にいると信じる意識の中で、人と接すること。これが本当の解決なのだ。
サマリヤの女性も「わたしには夫はいません」と告白をしました。罪の告白です。その中で救い主と出会いました。そして人々の前に出て行く。私たちも、自分のありのままを打ち明けることができる。そこで救い主に出会うことができる。恐れから自由になります。この自由をもって、今週も主イエスと共に生きていくものでありたいと願います。