「完全な道」(2,6節)を歩きたい。そう願う。自分自身無垢であることを願い、そして共に同じ心で生きる友を求めている。「この地の信頼できる人々に目を留め、わたしと共に座に着かせ」る。それが、主の慈しみと裁きにふさわしく生きる道だと信じる。2017年のクリスマスを迎えた。主はそのような友を一人も持たずに生まれ、十字架に進んで行かれた。しかし、主は私たちを友と呼んでくださった。主は我らと友に座ってくださっている。
2025年1月2日の聖句
人を恐れることは破綻を招くが、主に頼る者は守られる。(箴言29:25) 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたに御国をお与えになることを、あなたがたの父はお喜びになったのだから。(ルカ12:32) 新しい年が始まりましたが、だからといって社会が突然よくなったり、明るくなったりするわけ...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...