主の慈しみとまことはとこしえに、わたしたちを超えて力強い。ハレルヤ。(詩編117:2)わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。(ローマの信徒への手紙8:32)
聖書を読んでいると、ときどき不思議な気持ちになります。どうしてわたしのことをこんなに知っているのだろう、と思います。ローマの信徒への手紙第8章では、私たちの肉体の弱さや苦しみのことが和田に上っています。例えば、26節です。「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」私たちは弱い。どう祈れば良いのかも分からない。苦しみの中で、祈ることを止めてしまったり、祈りの言葉が出てこなくなってしまいます。呻きしか出てこない。聖書はそのことをよく知っています。ところが、それだけには留まりません。聖霊なる神様ご自身が、私たちのために、私たち以上に呻いて、私たちのために執り成して、どう祈ったら良いのか分からないわたしたちのために祈ってくださいます。私たちの内で祈っていてくださいます。私たちの口を通して、聖霊ご自身が祈ってくださるのです。わたしたちは弱いけど、神様ご自身が私たちに祈りの言葉を下さいます。「天の父よ」と祈るたった一言を、私たちの口に上らせてくださるのは、神様です。今朝の御言葉の直前の31節ではこのように言っています。「もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。」神様が、私たちの味方です。たとえ誰がわたしに敵対しても、神様は味方でいてくださいます。どんな苦しみも、病も、悲しみも、死も、例え誰が私たちの敵であっても、神様は私たちの味方です。祈る者はそのことを知っているのです。なぜなら、「天の父」と私たちが祈ることができるからです。この父の愛から私たちを引き離すものは何もありません。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」苦しみの時、呻くときに、私たちはこのことを思い出したいと願います。御子をくださった以上、御子と一緒にすべてのものをくださるのは当然。そう信頼しましょう。御子をくださる父なる神様の思いは、痛みは、どんなに深いものだったのでしょうか。どんなに想像しても、想像もつきません。ご自分の独り子、何よりも大切な、かけがえのない、他では代えが効かないもの。そのたった一つの宝を、神様は私たちのためにくださいました。苦しみの中で、私たちはそのことを知るのです。痛みの中で、神様の痛みがどんなに深く大きかったのか、その途方もなく計り知れない神の御心の、その苦しみを、私たちもわずかにでも知ります。その時、私たちも主を賛美せずにはいられません。「主の慈しみとまことはとこしえに、わたしたちを超えて力強い。ハレルヤ。」
2024年3月29日の聖句
ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...
-
主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...
-
今日の通読箇所:ルカによる福音書7:24~50、ヨシュア記1 8、詩編124~125 ヨシュア記18; 「あなたがたの先祖の神、主が与えられた地に入り、所有するのを いつまでためらっているのか(3節)」。すでにイスラエルの五つ の部族には所有地が割り当てられましたが、 まだ...
-
今日の通読箇所:テモテへの手紙二2、イザヤ書60~62 イザヤ書60~62; 主イエス・キリストが安息日に会堂に入り、そこで聖書を朗読し、「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した(ルカ4:21)」と宣言されたことがあります。その時に主イエスが朗読された...