2018年7月5日木曜日

詩編第119編73から80節「主の御もとに立ち帰ろう」


「わたしを偽りによって迷わせた傲慢な者」がいた。そして、この信仰者は迷ったのだろう。主を畏れる人は自分の側から離れ去ってしまった。しかし、今や立ち帰ったのである。「あなたを畏れる人はわたしを見て喜びます。わたしが御言葉を待ち望んでいるからです。」これは失われた一匹の羊自身の祈りなのだ。「わたしの心があなたの掟に照らして無垢でありますように。」主のものとして生きていきたい。それが我らの祈りなのだ。

2026年10月5日の聖句

塵や灰に過ぎない私ですが、あえてわが主に申し上げます。(創世記18:27) 女は言った。「主よ、ごもっともです。でも、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」(マタイ15:27~28) 私たちの祈りの心、それは今日のアブラハムの言葉そのものです。「...