「わたしを偽りによって迷わせた傲慢な者」がいた。そして、この信仰者は迷ったのだろう。主を畏れる人は自分の側から離れ去ってしまった。しかし、今や立ち帰ったのである。「あなたを畏れる人はわたしを見て喜びます。わたしが御言葉を待ち望んでいるからです。」これは失われた一匹の羊自身の祈りなのだ。「わたしの心があなたの掟に照らして無垢でありますように。」主のものとして生きていきたい。それが我らの祈りなのだ。
2024年7月27日の聖句
貧しい人が(主に)永遠に忘れられ、苦しむ人の希望が滅びることは決してない。(詩編9:19) イエスは言われた。「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。」(ルカ6:20) 「貧しい人々は、幸いである」と主イエス・キリストは宣言なさいます。キリスト以外の一体誰にそ...
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(主の言葉)私はあなたがたを顧み、多くの子どもを与え、数を増し加えて、あなたがたと契約を立てる。(レビ26:9) キリストによって、体全体は成長させられ、愛の内に造り上げられてゆくのです。(エフェソ4:16) キリストは、私たち教会を今地上にあるご自分の体としてくださいました。私...
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わたしは、高く聖なる所に住み、 砕かれた人、へりくだった人とともに住む。 へりくだった人たちの霊を生かし、 砕かれた人たちの心を生かすためである。(イザヤ57:15) 弟子たちがイエスに、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いています」と言って、無理に引...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...