2018年7月1日日曜日

コリントの信徒への手紙一第1章1から3節「聖なる人への手紙」

わたしは姉妹教会の希望が丘教会附属の幼児園に三歳の時から通っていました。それが切っ掛けで教会に行くようになりました。ですので、初めて教会に行った日のことは覚えていません。それから引っ越ししたこともあり、小学生のころは家の近所にあった相模原南教会という教会へ行きました。5年生の時から、やはり姉妹教会の高座教会に行くようになりました。そして、そこで、15歳の時に洗礼を授けられました。キリスト者になりました。たくさんの人と出会い、信仰に導いていただきました。全然礼拝に顔を出さなくなったわたしを誘い続けてくださった谷中先生、信仰者として生きる喜びを見せてくださった、今は牧師の仲間であります平先生。その後も、たくさんの教会の仲間と出会いました。神さまは、そうやってわたしのことを呼んでくださったのです。「キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ」と、パウロはこの手紙の宛先のコリント教会の人たちを呼んでいます。この「召された」という言葉は、呼ばれた、という言葉です。誰に呼ばれたのか?神さまに、です。神さまが呼び出してくださって、聖なる者としてくださったのです。今日から、このコリントの信徒への手紙一を少しずつ読んでいきます。読むとすぐに分かることは、コリント教会の現状は、とても「聖なる者たち」とは言えないような有り様だった、ということです。教会の中には分裂と党派争いがありました。この手紙を書いているパウロを軽んじたり、軽蔑したりする者もいたようです。ところが、パウロは、迷うことなく彼らのことを「聖なる者」を呼びます。神さまが、そう呼んでおられるからです。この手紙を受け取っているのは、「コリントにある神の教会」です。「教会」という言葉は、ギリシア語ではエクレーシアと言います。元々は集会とか議会とかいう意味の普通の言葉で、特に宗教的な意味はありません。でも、彼らは神のエクレーシア、神の集会、神に呼ばれて集まってきた人々。もちろん、このエクレーシア(教会)は、建物という意味ではありません。呼び集められた人々、その集団のことです。コリントの町にはいろいろな集会(エクレーシア)があったはずです。議会もあり、さまざまな集団もあったことでしょう。どうして、彼らは神のエクレーシアと呼ばれたのか。神が呼び集めてくださったからです。だから、「至るところでわたしたちの主イエス・キリストを呼び求めて」いました。それは、私たちの信仰生活そのものです。神が呼んでくださったから、今朝も私たちは礼拝を献げている。神が呼び集めてくださったから、私たちは今神さまのお名前を呼んで祈っています。それは、「イエス・キリストはこの人たちとわたしたちの主」だからです。コリント教会のキリスト者達は、皆が求めている繁栄を主とするのでも、この町を植民地支配しているローマ皇帝を主とするのでもなく、イエス・キリストを主と信じていました。だから、パウロは言うのです。私たちの絆はその一点だけではないか、キリストを主と告白し、礼拝するために私たちは召されたのではないか。その原点に立ち帰って、キリストの内に一つの教会に戻ろう、と。パウロ自身、「神の御心によって召されてキリスト・イエスの使徒」になりました。神に呼ばれたこと以外に立つべき場所はないし、そこに立つ使徒だからこそ、どんな時にも諦めずに福音の側に立ち続けたのです。

2024年12月29日の聖句

今週の聖句: 私たちは栄光を見た。父の独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた。(ヨハネ1:14b) 今日の聖句: 小鳥さえも住みかを見つけ、つばめも巣をかけて、雛を育てています。万軍の主、わが王、わが神よ。(詩編84:4) 狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、...