母の胸にいる幼子は、ひたすら母に注目する。その一挙手一投足に喜び、安心する。そして、平安の内に、眠りにつく。「わたしは魂を沈黙させます。母の胸にいる幼子のようにします。」私たちの魂は、どうなのだろうか?私たちの心が驕り、高くを見、大きすぎることを追い求めるとき、私たちの心は騒ぐ。そこでは主を待ち望むことがない。主こそが救いだとわきまえたい。主に与えられた分に応じて、忠実に、ひたすら神を求めていきたい。
2025年10月30日の聖句
主よ、帰って来てください。私の魂を助け出し、慈しみによって、お救いください。(詩編6:5) 神は、どのような苦難のときにも、私たちを慰めてくださるので、私たちも神からいただくこの慰めによって、あらゆる苦難の中にある人々を慰めることができます。(2コリント1:4) 私は聖書に書いて...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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(主の言葉)恐れるな、アブラムよ。私はあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。(創世記15:1) こうして、アブラハムは忍耐の末に、約束のものを得ました。(ヘブライ6:15) 「恐れるな。」神さまは私たちに語りかけてくださいます。「恐れるな!」 しかも、もったいないこ...