2019年1月10日木曜日

2019年1月10日(創世記18〜19)

今日の通読箇所:マタイによる福音書9:1~17、創世記18~19、詩編13~14

創世記18~19;
ソドムとゴモラという町が登場します。「その罪は極めて重い」と指摘されています。実際に、神様が御使いがソドムに行ったとき、彼らのことをなぶり者にしてやろうと町の男たちがロトの家を取り囲みました。ロトは、息巻く彼らに対して、なんと自分の娘を身代わりに差しだそうとします。それもまたぞっとするような言葉です。結局ソドムは滅びました。ロトと家族はソドムから逃げますが、ロトの妻はソドムという都市生活を捨てがたかったのか、後ろを振り向き、塩の柱になってしまいました。そして、たった三人で生きねばならなかったロトと二人の娘は、近親相姦によって子孫を残すことになります。
人間の欲望や罪、あるいは不安から生まれる道を外れた行い、いろいろな混乱が渦巻いています。おそらく、これが、アブラハムの時代から今までずっと続いている、人間の罪の現実なのです。
そんな時代の中で、アブラハムは祈る者として登場しています。ソドムのため、ゴモラのために彼は祈ります。ロトのために彼が尽くしたことは、第14章で触れられていました。彼は神様の御前で祈り、隣人のために仕える人として、生きていたのです。
そんなアブラハムに神様の約束が具体的に告げられたのです。「私は必ず来年の今頃、あなたのところに戻って来ます。その時、あなたの妻サラには男の子が生まれているでしょう。(18:50)」サラにしてみれば、我が身の事としては笑ってしまうような内容です。しかし、神様は確実にその約束を果たしてくださいます。混乱した世界の中で、神の祝福の業が進んでいるのです。「地上のすべての国民は彼によって祝福される(15:18)」というとおりに。私たちが、今朝、神様の御前で一人静かに祈り、御言葉に聞くことにも、神様は大切な意味を見ていてくださいます。

2025年1月11日の聖句

私は彼らと平和の契約を結び、これは永遠の契約となる。(エゼキエル37:26) 今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、恵みと平和があなたがたにあるように。(黙示録1:4,5) 聖書は神さまと私たちとの関係を「契約」という言葉で表します。例えば、箱舟を降りたノアに神さまは、虹...