2019年1月22日火曜日

2019年1月22日(創世記37)

今日の通読箇所:マタイによる福音書17、創世記37、詩編26

創世記37;
ヤコブの12人の息子たちの11男、ヨセフの物語が始まります。ただ、このように始まっています。「ヤコブの歴史は次のとおりである。(37:2)」この「歴史」は昨日も見たトーレドートですので、系図や物語、由来といった意味もあります。いずれにしても、ここでは「ヨセフの歴史」とは言っていません。これは、ヤコブの歴史です。つまり、ヤコブとヤコブの家の歴史です。
これからこの物語を読んでいくと、主に登場するのはヨセフですが、しかし物語の結末はヨセフだけではない他の家族たちの救いに関わる話であることに気づきます。つまり、ヨセフに起こった出来事は彼一人にはとどまらずに、周りにいて共に生きるたくさんのものたちにとっての救いであり、彼らの物語でもあったのです。
話はヨセフが見た不思議な夢の話から始まります。兄弟たちで麦を刈っていたら、兄弟たちの刈り取った麦の束がヨセフの麦束にお辞儀をした。あるいは、太陽と月と11の星々がやはりヨセフにひれ伏した。この夢の話をすると、兄たちはヨセフが調子に乗っていると激高し、父にも叱られました。
しかし、この後の話は、不思議とヨセフが見た夢のとおりに進んでいきます。しかしそれは、この章で兄たちにひどい目に遭わされたヨセフがその復讐をして溜飲を下げふために実現していくわけではありません。ヨセフ自身と、ヤコブの家のたくさんのものたちの救いのために、ヨセフが見た夢のとおりに話が進んでいくのです。
私たちにも、今日、予想だにしないことが起こるかもしれません。あるいは、私たちはそれに気づかずに、自分の身に起こっていることに鈍いままであるかもしれません。何があるにしても、ないにしても、それは私たち自身だけではなく、私たちの周囲に生きる多くの人の救いにとっても意味があることです。私はそう信じています。神様は、私たちさえも用いてご自分の救いの歴史を進めてくださるのです。

2025年1月13日の聖句

空しいものを見ないよう、私の目をそらせてください。(詩編119:37) あなたの目は体の灯である。目が澄んでいれば、あなたの全身も明るいが、目が悪ければ、体も暗い。(ルカ11:34) 目は体の灯なのであって、目が澄んでいれば全身も明るくなる。ところが目が濁っていて見ることができず...